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地名をルーツとする名字「太秦」。古代豪族と公家、ふたつの流れがあります

2026.05.27

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墨アート製作/越智まみ

名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

難読名字:太秦(うずまさ)

「太秦」は京都にある地名をルーツとする名字です。国宝阿修羅像で知られる広隆寺や、映画のテーマパーク「東映太秦映画村」などがある有名な観光地で、JR嵯峨野線(山陰本線)の太秦駅もありますから、難読にもかかわらず多くの人が「うずまさ」と正しく読めると思います。

難読名字:太秦(うずまさ)
名字の「太秦」はこの京都の地名に由来し、ルーツとしては大きく2つの流れがあります。

1つは渡来人系の古代豪族である秦氏の一族の末裔です。


平安時代初期に編纂された『新撰姓氏録』では、秦氏の祖は応神天皇の時代(3世紀)に百済から渡来した弓月君(ゆづきのきみ)で、秦の始皇帝の子孫と伝えています。

5世紀未後半の雄略天皇の時代、秦酒公(はたのさけのきみ)は天皇に献上する絹織物を「うず高く」積み上げことから「禹豆満佐(うずまさ)」という姓を賜り、それに秦氏の族長を意味する「太秦」という称号をあてたと伝えていますが、実際に「太秦」という姓が登場するのはもう少し後の時代のようです。

奈良時代になると、秦氏一族の嶋麻呂が恭仁(くに)京の大垣宮を築いた功で従四位下に特進して太秦公という姓を賜っていますので、この頃には秦氏の族長=太秦(うずまさ)という図式が出来ていたようです。

もう1つが公家の分家です。

幕末、藤原北家末裔の公家桜井供秀の二男供親は、長男ではないため家を継げず慈尊院に入って僧侶となっていました。

明治維新で大政奉還されると公家が政治の中心に携わるようになり、僧籍に入っていた公家の庶子(嫡男以外)達が次々と復帰しました。供親もそのうちの一人で、明治元年に復職、翌年には堂上に列して新たに「太秦」を名乗りました。跡を継いだ供康は男爵となり、貴族院議員もつとめています。


森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。


墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/

写真提供/森岡 浩

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