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日本史でおなじみの名字「中臣」。その由来は“神と人をつなぐ”役目にありました

2026.04.09

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墨アート製作/越智まみ

名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

中臣(なかとみ)

「中臣」はみなさん歴史の教科書で見たことがあると思います。

乙巳の変(大化の改新)に活躍した中臣鎌足(後の藤原鎌足)は有名ですし、古代では中臣氏は祭祀関連を担当し、ヤマト王権を代表する有力豪族でした。しかし現在では少なく、関東や関西、九州などに点在する程度となっています。

中臣氏は、天照大神が岩戸に隠れた際に岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開くきっかけをつくった天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫です。


本拠地は河内国河内郡(現在の大阪府)とされ、「中臣」という名は、神と人との間を取り持つ「ナカツオミ(中ツ臣)」に因むといいます。

大陸から仏教が伝来すると、これに反対する立場をとり、推進派の蘇我氏と厳しく対立しました。有名な鎌足の前半生については諸説ありますが、常陸国にいた分家の出だと言われています。

鎌足は大和に出て、中大兄皇子(のちの天智天皇)に近づき、乙巳の変ではともに蘇我氏本家を滅ぼしました。そして鎌足は内臣となり、中大兄皇子の側近として活躍します。天智天皇8年(669)病に倒れると、天智天皇から「藤原」の姓と大織冠を賜り、翌日死去しました。

以後中臣氏は藤原氏となったのですが、やがて鎌足の子である不比等の子孫のみが「藤原」と名乗ることとなり、その他の一族は中臣氏に戻って朝廷の祭祀を司る神祇官を職掌とすることになりました。

以来中臣氏は神官として活躍し、氣比神宮(福井県)、香取神宮(千葉県)、鹿島神宮(茨城県)など、日本を代表する大神社の神職をつとめました。そして奈良時代中期に清麻呂が活躍して「大中臣」の姓を賜ると、平安時代には他の一族の多くも「大中臣」に改めています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/
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