気がきく人ときかない人
『長所と欠点は裏おもて』とは、よく言われる言葉です。
いろんな人と接していて、ほんとにそうだなあ、と、ため息をつくことがしばしばあります。
最初はその人の外見や経歴に惹かれて親しくなっても、次第に疎遠になったりするのは、そのギャップが気になってウットーしくなるからでしょう。
「気がきく」とはどういうことか
〈気がきかない人〉
というのは困りものです。いい人で、とても親切なのですが、なぜか〈気がきかない〉というタイプは、意外に多いもの。
二人の新人社員候補がいて、こちらが採用する立場だったら、学歴や外見だけでなく、どうしてもその人のお人柄を見てしまう。
そういうときに、大きな要因となるのは、やはり〈気がきく人〉を選ぶのがふつうではないでしょうか。しかし、〈気がきく〉というのは、一体どういうことなのか。
「配慮がある、ということですよね」
と、言われると、「まあ、そうだね」と答えるしかないのですが、なんとなく、「ちょっとちがうんだよなあ」と心の中でつぶやく感じがある。
「気がきく」という表現には、「いわく、言い難し」といったニュアンスがひそんでいるのではないでしょうか。
〈細部にまで目がとどく〉
と、いうのとは少しちがいます。テキパキと物事を処理する手際の良さでもない。
一見、おっとりしているようでいて、ちゃんと先回りして物事を処理する能力といいますか、なかなか的確に表現できないセンスが、「気がきく」という表現なのです。
「先回りして物事を処理する能力のことでしょうか」
と、ある若い女性が言いました。いちいち上から指示されなくても、先回りして反応するタイプは、たしかに〈気がきく〉人ではあります。しかし、必ずしもそうではない。
また、上役や高齢者に対して、いわゆる〈気づかい〉を忘れない人も、〈気がきく〉人とみなされがちでしょう。しかし、ちがう。
ある若い男性が言いました。
「たとえば、木下藤吉郎みたいな──」
木下藤吉郎は、若き日の太閤秀吉の名前です。彼が信長につかえていた頃、寒い日に主人信長の履物を懐に入れて暖めていたエピソードは有名ですが、確かに秀吉という人は細かなところまで〈気がきく〉人物でした。だからこそ、小柄で、風采(ふうさい)のあがらなかった男が天下を支配するところまで成り上ったのでしょう。
しかし、私が思う「気がきく」というのはそれとは少しちがう感じです。
〈配慮〉という言葉がありますね。辞書を引くと、「心づかい」、とか、「いろんなことをよく考えて、心をくばること」と説明されていますが、どこか物足りない感じがしないでもありません。
一種の動物的感覚
結論から言ってしまえば、その人の「人生観」「人間に対する考え方」「世間智」などが、教育によってでなく、本来、そなわっているような人、ということになるのでしょうか。
学歴とか、肩書きは関係ない。つまり、「人柄」としか言うべき言葉はありません。
さらに言えば、〈想像力〉かもしれないし、また、教養としてではなく、性格としての思いやり、みたいなものかもしれませんし、ひと言でうまく表現するのは難しいところです。
結局は、
「あの子は、ほんとに気がきくよね」
と、賞賛されたり、
「気がきかないったら、ありゃしない」
などと舌打ちされることのないタイプの人、ということになるのでしょう。
その人の本来の心の優しさではないのです。あえて言えば、想像力の問題かもしれません。その才能は、教育して育つものではないと思います。思いやりの深い人、というのでもない。優しさ、でもない。誠実さ、でもなく、結局、〈気がきく人〉〈きかない人〉ということになってしまうのは、なぜでしょう。
〈気がきく〉というのは、〈でしゃばり〉では決してない。言葉をはさむべきときと、そうでないときとを本能的に感じとって反応する、そんなタイプの人のことです。
学歴でもない。出身でもない。才能でもない。外国語がペラペラでも、〈気がきかない人〉というのはいるものです。
そうなると、一種の動物的感覚というか、本能的に〈気がきく〉〈きかない〉人が存在するとしか言いようがありません。
努力して、研究してなれるものではないからです。そこが難しい。
そんなことにこだわるのは、自分自身が、あえて〈気がつかない人〉のふりをすることが多いからかもしれません。〈気がきく〉というのは、いわゆる〈気のきいた〉という言葉の反対の感性です。うまく言えないのですが、お察しください。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》コーヒーの飲みすぎは体に悪い、という本を読んで、1日二杯、と決めたのですが、どうも原稿が進みません。ちょっとズルして三杯ということにしました。カプチーノやカフェ・オレは、コーヒーとはちがう、などと、無理な理屈をおし通して、きょうも気持ちよく原稿が進みます。