遠州茶道宗家・若宗匠、小堀宗以さんと学ぶ 茶の道を往く 京都・大徳寺での4年間の修行を終え、実家である遠州茶道宗家に戻られた小堀宗以さん。若宗匠の歩みを追う連載の2回目では、茶道における掃除の心得について教えていただきます。
掃除の心得
小堀宗以(こぼり・そうい)
1997年に遠州茶道宗家十三世家元長男として生まれる。大学卒業後、大徳寺龍光院で1年間修行。小堀月浦和尚に「宗以」の号を授かる。翌年、僧堂に掛塔(かとう)し3年間修行。2024年より、遠州茶道宗家若宗匠として活躍。
若宗匠が洗っているのは、手や口を清めるために茶室の前に置かれた手水鉢(ちょうずばち)「蹲踞(つくばい)」。「外で掃除をしていると、日の長さなど、自然の変化を五感で感じられます。無心で手を動かしているうちに悩みも忘れ、綺麗になると心も清々しくなります」。
龍光院での修行時代、掃除を通して忘れられない教えを受けたことがあります。ある日、予定どおり1時間みっちり掃除をしたので、「終わりました」と和尚様に報告しました。しかし、その後の点検で細かな部分まで行き届いていないことを指摘され、叱られてしまいました。8割できていても、残り2割が欠けていれば、掃除ができたとはいえない。大切なのは「時間をかけたか」ではなく、「本当にできたか」なのだと教えられました。
畳を雑巾で拭くときは親指の付け根を使い、畳の目に沿って拭く。
宗家に戻ってからは、掃除の最後に、自分がお客様になったつもりで見直すようにしています。違う視点に立つと、意外な見落としに気づくことができます。
茶道が掃除を重視する理由は、何よりもお客様をおもてなしするためです。茶席ではお客様に心を平常に保ち、お茶の時間に身を委ねていただくことが大切です。汚れや乱れは、些細なものでも心を動かします。それを防ぐための準備の一つが、掃除なのです。
代々、遠州茶道宗家では、畳の掃除に箒を使用する。「箒の先が畳に触れるか触れないか」ぐらいの持ち方をすると、箒も傷まない。
掃除とお点前には、その過程で雑念が取り除かれるという、共通した精神性があります。お点前では、道具を清める所作を通して心を清め、本来の自分に立ち返ります。遠州流の袱紗捌(ふくささば)きはよく綺麗といわれますが、それは心を整える過程そのものを重んじる美意識が、所作に表れているからでしょう。
露地の木の葉を拭くのは、触れても汚れないようにするため。「露地は、お客様をお迎えする前に水を打ちます。その雫が葉っぱから落ちるとお召し物が汚れてしまうので、丁寧に拭きます」。
掃除には、綺麗になって嬉しいという素直な喜びもあります。見えないところまで整えたら、自己肯定感も上がり、ここまで準備したのだから、よい一服を差し上げられるという自信が生まれます。相手へのおもてなしの気持ちが、自分に返ってくる感覚です。
掃除は、相手を思いやる心から生まれる行為です。その一方で、自分の心を清め、すっきりとさせる大切な時間でもあります。(談)
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