対談の面白さとは
このところ立て続けに、いろんなジャンルのスターと対談をする機会がありました。
藤井フミヤさん、漫画家の、ちばてつやさん、ピアニストの舘野(たての)泉(いずみ)さん、そしてクレイジーケンバンドの横山 剣(けん)さん、などなど文壇とはちがう世界で活躍されている個性的なスターばかりです。
一家をなした人のオーラ
藤井フミヤさんとは、世代こそちがえ、同じ福岡県筑後地方の出身とあって、どこかお国なまりのイントネーションを感じさせる楽しい一刻(ひととき)でした。読書家であり、なおかつ美術表現の世界でも個性的な作品を創作されている全方位的なアーチストです。
ちばてつやさんは、『あしたのジョー』で国民的なブームを巻きおこした漫画家です。私との接点は、思いがけないところにありました。
東京生まれのちばさんは、生後まもなく旧満州へ渡ります。そして敗戦後、さまざまな苦難のすえに祖国に引揚げてこられました。
私も場所こそちがえ、外地からの引揚者です。戦後の言葉につくせぬ体験を、お互いに言葉ずくなに語り合いました。
戦後80年、いまだに語られざる秘話が記憶の奥に残っていることを確認しつつ、握手して別れました。
舘野 泉さんは、〈左手のピアニスト〉として国際的な注目を集めている音楽家です。先日、サントリーホールでのコンサートで聴いたピアノの音は、いまも心に残っています。
舘野さんとは、何十年も前のことですが、音楽雑誌で対談をしたことがありました。私も舘野さんも、北欧のフィンランドに深い縁のある人間です。
私の初期の作品「霧のカレリア」は、1960年代のフィンランドを舞台にした中篇小説でした。白夜のヘルシンキの街をさまよい歩いたときの記憶は、いまも鮮やかに残っています。
横山 剣さんは、異色のミュージシャンです。彼は横浜をベースキャンプとして活動している音楽家ですが、作詞・作曲はもちろん、きわめてデリケートな文章家でもあります。
私とは、クルマ遍歴の知己として交友が始まり、いまは同じ横浜の住民として、〈ニッポンの歌〉についても構想する仲間となったのです。
横山さんとは、こんど本を出すことにしました。対談集を出すのは一体何冊ぐらいになるのでしょうね。
作家のくせに、どうして文芸界以外の人たちと対談を多くするのか、と不思議に思われるかたもいらっしゃるかもしれません。
しかし、作家という人種は常に人間全体に興味を抱いている存在です。同業の人々にしか興味がないという作家は、すでに作家としては失格です。
それぞれの世界で一家をなしていらっしゃる人々は、人間としてのカラーを人一倍強烈に発揮している存在です。
業種がちがっても、その放つオーラには特別なものがあります。
対談は“冒険の旅”
私は書く人間です。ですから歌う人間、踊る人間、描く人間、映す人間、働く人間、つらい思いをして生きている人々、野心的な人間、悪人と称されている人間、敵方にいる人々にも興味があるのです。悪人にも、善人にも。
書物や映像から知る人間には、限りがあります。向き合ってナマの声で語り合うとき、その人の隠れた内面がおのずと浮かび上ってくるのです。
ですから私は、はじめてのゲストとお会いする前の準備に、特に気をつけることがいくつかあります。
対談の前に、相手のゲストについてひと通り勉強しておく、それは常識です。
よく知っているつもりの知人、友人でも、あらためて確かめてみると、意外な事実が見えてくるもの。
よく知っているつもりでも、それはいわゆるマスコミ情報に過ぎず、まったく違ったイメージが浮かび上ってくることさえあるのです。
しかし、事前のお勉強は必須でも、それにとらわれてはありきたりの紹介になってしまう。そこが難しいのです。
既成のイメージにない相手の個性や意図を発見する、それが対談の本当の真価なのではないでしょうか。お勉強したことを、そこで披露することぐらい猿でも(差別かな?)できるのではないでしょうか。
インタビューは、自分はさらさずに相手を探ろうとする仕事です。対談はそうではありません。相手の真実を知るためには、まず自分が服を脱ぎ、素顔で向き合うしかありません。
対談は、ときにはお互いの内面の扉が開かずに失敗に終ることも、ままあります。
人間同志が心を開いて語り合う。それは人間不信の現代における冒険にほかなりません。
これからもまだ、対談という現代の冒険の旅をつづける積(つも)りです。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》急に寒くなって、服の冬支度が大変です。もう着ないと思って片付けたジャケットを探したり、オーバーをクリーニングに出したりと、雑事に追われる毎日です。