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戦国大名で知られる名字「長宗我部」。ルーツは渡来人

2026.02.13

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墨アート製作/越智まみ

名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

長宗我部(ちょうそかべ)

「長宗我部」は土佐の戦国大名の名字です。「長曽我部」あるいは旧字体を使用して「長曾我部」とも書きます。歴史上は有名な名字ですが、今ではあまりみることはありません。

この長宗我部氏は渡来人の末裔と伝えています。

『日本書紀』によると、応神天皇の時代に百済から弓月君(ゆづきのきみ)という人物が120県の民を率いて渡来したとあります。弓月君は秦の始皇帝の15世と伝えており、子孫は「秦(はた)」という姓を賜りました。


秦氏は山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦付近)を本拠として養蚕・機織りの技術で朝廷に仕え、次第に各地に広がっていったのです。

このなかに信濃国更級郡小谷郷(現在の長野県千曲市)に移り住んだ秦氏があり、鎌倉時代初期にその一族の秦能俊が土佐国長岡郡宗部(そがべ、現在の高知県南国市)郷に転じました。

この宗部郷は長岡郡に属していましたが、近くには香美郡に属する宗我郷もありました。そこで、秦能俊は長岡郡の「長」をとって「ちょうそかべ」と称し、「長宗我部」という名字を名乗ったのです。因みに、香美郡側の宗我郷には別の一族が移り住み、こちらは香美郡の「香」をとって香宗我部(こうそかべ)と名乗ります。

長宗我部氏は鎌倉時代に地頭となり、やがて周辺に多くの分家を出して有力一族に発展します。

戦国時代には元親が土佐一国を統一。さらに、阿波の海部氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏を降して四国の大半をも支配しました。しかし、豊臣秀吉に敗れて再び土佐一国の領主に戻され、関ヶ原合戦で盛親が西軍に属したため改易となります。そして盛親は大坂の陣で豊臣方に属して敗れ、六条河原で切られたため長宗我部氏は滅亡しました。

なお元親の弟の親益の子孫は、江戸時代島氏と改称して残り、明治維新後に長宗我部氏に戻しています。

現在は「長曽我部」と書くことが多く、西日本各地に点在します。

・ほかの名字の由来も読む>>


森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/
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