一期一会の日々
若い頃、といっても私が四十代か五十代前半の頃のことですが、ゴルフ熱が異常に盛りあがった時代がありました。ニクラウスやバレステロスなど、ゴルフファンでなくても有名選手の名前を話題にしていた時代です。
ゴルフ場の淑女
米国の名門ゴルフ場、オーガスタで開催される大会など、ゴルフファンでなくてもテレビにかじりついて観たものでした。
〽おお オーガスタ──と、歌にまでなって皆が口ずさんだものです。
今もゴルフはちょっと贅沢なスポーツとしてマスコミの話題にはなるのですが、かつてのようなフィーバーはありません。若い女子プロの活躍が注目されるくらいです。
そんなゴルフブームの時代には、新聞社や出版社などが、年に何回も競ってゴルフコンペを主催したものでした。
大手の新聞社、雑誌社はもちろん、ジャーナリズム関係の団体は、競って春・秋の大会に力を入れたものです。
また、〈文壇ゴルフ〉と称する作家・文化人の大会も定期的に行われて、有名作家はもちろん、私のような駆けだしの新人までが動員されて盛大な大会が行われたものです。
活字でしか名前を知らない先輩作家や、思いがけない有名人と一緒にプレイをし、食事をし、プレイ終了後のパーティーで談笑する。
いわば文壇の一種の社交パーティーのようなものと言ったらいいでしょうか。
思いがけない先輩作家と、ご一緒にコースを回る、そのことは、めったにない機会です。
小林秀雄さんや、石坂洋次郎さん、城山三郎さんなど活字でしか存じあげない大先輩と、気軽に冗談を言いながらプレイする。
当時のゴルフは、スポーツというよりも一種の同業者の社交の場でもあったのです。
面倒なルールなど、頭から問題にしない岡本太郎さんなど、悪ガキのような振舞いに眉をひそめる人もいましたが、私は楽しかった。
あまり酒を飲まず、夜のおつきあいなど苦手な私にとっては、世代をこえて同業の作家たちと触れあう有難い機会だったのです。ゴルフの上手下手など、ほとんど関係なく、一日を冗談を言い合いながら愉快に過ごしたものでした。
当時、ご一緒したかたがたの中で、今も忘れることのできない女性がいます。
細身の体にロングスカート、白い帽子をかぶってプレイなさっていた中年?の婦人がいらしたのですが、一緒にコースを回ることになって、そのかたが吉川英治夫人であることを知りました。
決してゴルフはお上手ではない。しかし、ミスをしようが、ルールをまちがえようが、何ともいえない気品と風格を感じさせるご婦人だったのです。
たおやかにクラブを振られて、ボールに当らず、芝を削るだけの空振(からぶ)りに終ると、恥ずかしそうに身をよじって、メンバーの私たちに、「ごめんあそばせ」と、会釈なさる。
その挙止動作に、何ともいえない風情(ふぜい)があって、見とれてしまうほどでした。
わざとらしい上品さではないのです。もうかなりのお歳だと想像されるのですが、その、
「ごめんあそばせ」
と、言う声と表情には、思わず見とれてしまうような風情がありました。
私たちなら、ミスショットをしたら、反射的に「畜生!」と舌打ちしたりする。中には持ったクラブを叩きつける無作法者もいる。
そんな中で、吉川夫人の「ごめんあそばせ」は、一抹の清涼剤のような感じで、思わず見とれてしまったものでした。
人と触れあう機会の大切さ
お人柄というものは、儀礼的な席だけでなく、日常的な遊びの中でこそ現れるものではないでしょうか。
当時は「起てばゴルフ、座れば麻雀」と称されたように、本業以外の遊びの中で人品骨柄(じんぴんこつがら)が評価された時代でした。
毎年、PR誌に発表される〈文壇酒徒番付〉などという催しも、けっこうメディアの話題になったものでした。お酒の量だけでなく、品格、人柄なども番付に反映するのですから、文芸ジャーナリズムも注目せざるをえません。
あまりお酒を飲めない私など、最初は幕下扱いだったのですが、そのうち、そこそこの地位まで上げてもらったものです。酒量より仕事の量が加算されたのでしょう。
ふり返って、その時代のことを考えてみると、なにかとても余裕のあった時代だったように思われてなりません。
最近は仕事以外で、いろんな世界のかたがたと触れ合う機会が、すこぶる少なくなったような気がするのです。
そんな時代ですが、雑誌の対談の仕事で思いがけないかたがたとお会いできるのが楽しみで、仕事という感じではなく、人と触れあう機会と考えて、できるだけ出席するようにつとめているのです。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》今月は対談のスケジュールが立て込んでいるので大変でした。本号(『家庭画報』2026年1月号)の
藤井フミヤさんとの対談はたのしかった。今週は漫画家のちばてつやさん、ピアニストの舘野 泉さんと、対談が続きます。