〔特集〕2026年開運祈願 ── 富士山から福来たる 「末広がり」の山容、日本一の高さが「繁栄」や「頂点」に通じることから、古くから“吉兆”とされてきた富士山。2026年の幕開けに際し、改めて日本の象徴であり、日本人の心の拠り所でもある霊峰富士の、霊験あらたかな力に触れることで、開運祈願をし、我が家に福を招きます。
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我が家に福を呼ぶ
“芸術(傑作アート)としての富士”を暮らしに
富士山の世界遺産登録に際し、その選考理由に挙げられた2大要因の一つが「芸術の源泉」。古(いにしえ)より現代に至るまで、富士山は脈々と日本の芸術的な創造にインスピレーションを与え続けてきました。
一方、日常の暮らしの中では、縁起のいい“吉兆”の象徴として、絵画や工芸品、道具などに取り入れられ、日本人の心の拠り所として感動や安心をもたらし、心を豊かにしてくれる存在です。ここでは今も「芸術の源泉」として息づく富士を紹介します。
極楽を描く 「銭湯富士」の世界
海外でも注目高まるクールな“SENTO ART”
世界でたった2人の「銭湯絵師」の一人、中島盛夫さん。80歳の今も現役の中島さんの制作現場を訪ねました。
東京都足立区の「おきもと湯」では、1967年の開業以来約3年に一度描き替えを行い、ほぼすべて中島さんが担当。前の絵の上から直接描くので、ペンキの厚みが増していきます。朝から始め、夕方には3階相当の高さの壁に見事な富士山が完成しました。
「いつでも最新作が最高傑作。そうでなければ、代金なんていただけません」──中島さん
富士山以外は想像上の景色。前の絵は左側に富士山を描いたため、右側の女湯から「私たちも近くで見たい」と要望が。今回はしっかり真ん中に。
「子どもの頃から風景を描くのが好きで、近所の山や滝なんかをよく描きました。水彩も油彩もやりました」
上京後、19歳で初めて訪れた銭湯で壁の富士山を見て「どうやったらこんな絵が描けるのだろうと、頭を殴られたようなショックを受けた」といいます。絵の素養があったからこその衝撃でした。その後この道に進み、描いた富士山は1万点以上。若い頃は富士山に足繁く通い、朝から晩まで「デッサンして、写真を撮って、最後はただ見る。全部を体に入れました」。
ローラーで“ぼかし”を描く技術は、中島さんが指を怪我した際に開発。
「山頂が一番難しい」。脚立に乗って描く。
使用するペンキは白・赤・黄・紺の4色。「これで何色でも作れます」。パレットはプラスチックの“ちりとり”。刷毛は、馬毛の特注品を使用している。
その名は海外にも届き、ロンドン、ニュージーランドで富士山の壁画を一気に描き上げる技術を披露し、ニュースで取り上げられるほど話題に。2025年にはカンボジアのアートフェアにも招かれ、富士山と銭湯絵の楽しさ、美しさを世界に広めています。
ロンドン・コヴェントガーデンにある店の壁に描いた富士山。口コミで依頼が増え、ピカデリーサーカス、ヒースロー近郊でも描いたという。2024年のニュージーランドでの壁画制作は、中島さんの絵に感銘を受けた当時20歳の若者がクラウドファンディングを立ち上げて旅費を捻出し、実現した。
(次回に続く。
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