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武士の系譜を継ぐ名字「門脇」。その由来は歴史上の著名人物にさかのぼる

2026.01.22

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墨アート製作/越智まみ

名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

門脇(かどわき)

「門脇」という名字は、高知県、鳥取・島根両県の県境付近、東北地方中央部の山間部という、互いに関係のなさそうな3か所に集中しています。しかし、いずれの「門脇」も、その先祖は同じであるといいます。

平安時代末期、朝廷は平家の一門が重要な役職を独占していました。その中心となっていたのは平清盛で、清盛の一族はみな高官に昇って一門で朝廷を牛耳っていたのです。

平清盛は父忠盛の長男ですが、その母は諸説あってはっきりせず、多くの異母弟がいました。その中の一人教盛(忠盛の四男)は、兄弟の中で最も清盛の信頼が厚く、中納言に昇進して清盛の側近として活躍しました。


清盛は六波羅の屋敷で政治を行っており、教盛の邸宅はその総門脇にあったことから、世間から「門脇中納言」と呼ばれていました。

教盛は兄清盛の没後はその子宗盛を補佐し、一門が都落ちした以降は貴族から一転して武将として活躍します。備中水島で源義仲を破り、播磨室山では源行家を撃退するという活躍をみせました。しかし壇ノ浦合戦で敗れて兄の経盛とともに海中に身を投じています。

その後、平家方の武将には多くの落人伝説が生まれました。なかでも平家を代表する武将であった教盛には各地に落武者伝説があるのです。そして、教盛の子孫は「門脇中納言」に因んで名字を「門脇」とし、教盛の末裔であることを伝えているといいます。

もっとも有名なのは鳥取県西伯郡大山町所子(ところご)の豪農門脇家で、やはり平教盛の末裔と伝えています。

この門脇家は江戸時代後半には大庄屋をつとめ、明和6年(1769年)に3代目本右衛門によって建てられた同家住宅は国指定重要文化財として公開されている他、分家の南門脇家住宅は鳥取県保護文化財、東門脇家住宅は国登録文化財となっています。

この他、土佐国香美郡韮生郷(現在の高知県香美市)には平教盛の子国盛が落ちてきたという落人伝説があり、戦国時代の長宗我部氏の家臣門脇氏はその子孫と伝えています。

・ほかの名字の由来も読む>>


森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/
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