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珍しい難読名字「調所」の由来とは?江戸時代の人物で知られる

2026.01.21

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墨アート製作/越智まみ

名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

難読名字:調所(ずしょ・ちょうしょ)

「調所」という名字をみたことがあるでしょうか。珍しい名字で、かつ難読の名字です。しかし、歴史上その名を遺し、高校の日本史の教科書にも登場する人物がいます。それが、薩摩藩の財政改革(天保の改革)を主導した調所広郷(ずしょ・ひろさと)です。

そもそも、「調所」とはなんでしょうか。『国史大辞典』には、「田所・税所などと並ぶ国衙内の役所の一つ」とあります。

古代律令制下では、「租・庸・調」という3種類の税がありました。「租」は収穫の3%を納める租税で、「庸」(よう)は本来都での一定期間の労働奉仕ですが、絹や麻布などを代わりに納めることもできました。「調」は各地の特産物を納める税です。


国衙(国司が政務をとった地方官庁)において、この「調」の収納を司ったのが「調所」だったと思われます。

平安時代中期になって「調」の制度が崩れてくると、「調所」も国衙に納入される絹・綿・布などの手工業製品を収納する役所に変わっていきました。

こうした「調所」で働いていた人が名乗ったのが「調所」という名字です。

歴史的には大隅国(現在の鹿児島県)の在庁官人だった調所氏が知られています。もともとは同地の諸税の収納にあたっていたとみられ、のち島津氏に従って、江戸時代は薩摩藩士となりました。

江戸時代後期、各藩は財政危機に見舞われます。なかでも薩摩藩の財政は厳しく、文政末年には藩の借金は約500万両もあり、とても返済できるような額ではありませんでした。

このときに財政改革を担当したのが、調所家分家の出の広郷(通称 笑左衛門)でした。広郷は国内産物を専売制にするだけでなく、密貿易まで行なって見事に財政を立て直し、200万両もの蓄えをつくることに成功したのです。しかし密貿易が幕府に発覚し、広郷は自殺したといわれています(公的には急死)。

明治維新後、広郷の三男広丈は調所本家を継いで元老院議官、貴族院議員を歴任。明治33年(1900年)には男爵を授けられますが、その際に名字の読み方を「ずしょ」から「ちょうしょ」に変えています。

・ほかの名字の由来も読む>>


森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/
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