〔連載〕二階堂ふみが体験して学ぶ 日本の美 その“奥”へ 俳優・二階堂ふみさんが日本文化の奥へと分け入り、その美しさを改めて発見する人気連載。今回は、京繡(きょうぬい)の第一人者、長艸繡巧房(ながくさぬいこうぼう)の長艸敏明さん・純恵さんを訪ね、日本ならではの刺繡の緻密な美しさと、京都のものづくりの深淵を見つめました。
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第8回 長艸繡巧房(ながくさぬいこうぼう)
「100のうち、10か20をそっと出す。それが京都のものづくりです」──長艸敏明
両手を使って針を上下させる京繡。長艸敏明さんの針の運びを見つめる二階堂さん。
長艸敏明(ながくさ・としあき)刺繡作家・京繡伝統工芸士。1933年に父・長艸芳之助が西陣に設立した繡屋を、1989年に継承。きもの、能装束の制作から文化財の修復や復元新調、海外ブランドとのコラボレーションを行う。アートピースとして自身の作品制作も手がける。2025年、長艸繡巧房の代表を長男の真吾が継承した。
長艸純恵(ながくさ・すみえ)1968年京繡を学び始める。1969年長艸敏明と結婚。2010年、和のしつらえと京繡作品を展示する貴了庵をオープン。2014年京都市伝統産業技術功労者を受賞。
針先を見ずとも、正確に刺す環境が育んだ正確な技術
高度な技術を必要とする伝統工芸、京繡。第一人者である長艸繡巧房の長艸敏明さんを訪ねます。
きものはたまご色に染めた高野槙地紋の色無地。帯は、江戸時代の小袖の生地に金駒留め刺繡を施した昭和初期の丸帯。紗綾形刺繡の半衿、菊の葉に真珠のつゆ彫金を施した昭和初期の帯留め/すべて石田節子呉服店 扇子は宮脇賣扇庵の金蒔絵扇子。
二階堂さん(以下、二階堂) 京繡は、日本刺繡や和刺繡ではなく、なぜこう呼ばれているのでしょうか。
長艸さん(以下、長艸) 刺繡は、飛鳥時代に仏を糸で描く「繡仏」として中国から奈良に伝来し、平安京遷都とともに京都に伝わりました。平安貴族が好んで用いたことなどから、特に京都で大きく発展したので京繡と名づけられたのでしょう。
二階堂 針の運びを拝見しますと、つい下から覗き込みたくなってしまいますね。下から上に針を刺すときは、針先は見えていませんよね。それでも思ったところに自在に刺していらっしゃいます。
長艸 実際に針を持ったのは18歳からですが、赤ちゃんの頃から刺繡台の下に寝かされて、下からよく覗いていたんです。そうした自然の積み重ねで、技術や良し悪しの感性が育てられたのだろうと思います。
刺繡台。反物を両端の丸棒に巻きつけて木枠にぴんと張り、刺し終えるごとに巻き進んでいく。
京繡では、針を垂直に動かし、右手で上から下に針を刺し通す。
生地の下で針を受け、下から上に刺し返す。
糸の色数は約600種。色を選び、糸巻きに巻き直して使用する。
総刺繡の作品『無量聚(むりょうじゅ)』。鶴、亀、打出の小槌、梅など、さまざまな吉祥文が刺繡されている。織物のように同じ図柄が繰り返されるのではなく、すべての図柄が少しずつ異なっている。下絵に1年、刺繡に6年を費やした大作。