名字の世界 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。
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狩野(かのう)
「狩野」は地名由来の名字で、各地にある狩野地名がルーツです。ただし、歴史上知られる狩野氏は伊豆狩野氏の末裔が多いようです。
伊豆狩野氏は伊豆国田方郡狩野郷(現在の静岡県伊豆市)がルーツで、藤原南家の出の維景が狩野荘に土着して狩野氏を称したのが祖です。以後室町時代末期まで国人領主として同地に大きな力を持っていました。
室町時代後期、北条早雲が駿河から伊豆に進出してくると、これに抵抗して嫡流は滅亡してしまいました。
この他にも、駿河国、加賀国、陸奥国などに狩野氏がおり、いずれも伊豆狩野氏の一族の末裔といいます。
さて、伊豆狩野氏の末裔として最も有名なのが絵師の狩野家でしょう。ただし子孫とは伝えているものの、始祖の狩野正信以前は不明で関係はよくわかりません。
正信が室町幕府の御用絵師となると、子の元信は大和絵の技法も取り入れて狩野派の基礎を築き、桃山時代には永徳が織田信長・豊臣秀吉の庇護のもとで活躍、長男の光信、弟子の山楽とともに狩野派は一世を風靡しました。
江戸時代になると鍛冶橋狩野・木挽町狩野・中橋狩野・浜町狩野の4家が将軍にも御目見えのできる幕府の奥絵師となり、15家の表絵師、さらに町人相手の町絵師というピラミッド型構造で絵師の世界を支配することになります。
現在「狩野」は群馬県を中心に、関東から静岡県にかけてと、宮城県に多い名字です。
なお、読み方は「かのう」と限りません。「狩野」が最も多い群馬県では、圧倒的に「かのう」ですが、次いで多い宮城県では「かりの」と「かの」が多く、「かのう」はかなり少数派です。この他でも、長崎県ではほぼ「かりの」ですし、関西では「かの」「かのう」「かりの」のいずれも多いなど、地域によって多い読み方が異なっています。
修善寺付近の狩野(かの)川
そもそも最もメジャーなルーツである伊豆の狩野地名の読み方は「かの」で、修善寺付近を流れている狩野川も「かのがわ」と読みます。そして「かの」から「かのう」や「かりの」に変化したようです。
全国を合計すると、「かのう」「かりの」「かの」の順となっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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