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カズオ・イシグロさん「80年の平和を普通のことと思ってはいけない。常に世界の動向を見つめて」【戦後80年インタビュー特集】

2025.09.09

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〔特集〕戦後80年インタビュー特集 戦争を知らない私たちはどう戦争を語り継いでいけばいいのだろう “戦争の記憶の風化”ということがいわれるようになって久しい。戦争を経験した世代が日本の人口の1割を切り、両親や祖父母から戦争の話を聞くという体験をした世代すら減少する一方だ。戦後80年という節目の今、世界でさまざまな平和式典が開かれる傍らで、ウクライナ戦争、パレスチナ・イスラエル戦争など、過去の過ちに対する反省や学びなどまるでなかったかのように戦争を起こす人たちがいる。どの国の戦争であれ、いつの時代の戦争であれ、戦争を始めようとするのは少数の人間で、被害が及ぶのは平和に暮らしたい普通の人々だという事実。

そして多くの場合、本を正せば、戦争を起こす人たちにその権限を与えたのはその犠牲となる人々であるという矛盾。戦争は始まったその日から、ありふれた日常も、思い描いていたささやかな未来も、すべて奪い取っていく。私たちの両親や祖父母の心にそうした戦争への嫌悪が深く刻まれていることが、今過去のこととして忘れ去られようとしている。戦後世代の私たちがこの先どう次世代に戦争を語り継いでいくか、その責任が問われている。

【戦後80年の間に起きた国々を巻き込んだ戦争】
※人数は民間人の死者数。ただし調査機関によって数字に隔たりがある
・朝鮮戦争1950〜1953年200万人以上(Bruce Cumings "The Korean War : A History")

・ベトナム戦争1955〜1975年200万人以上(The Vietnamese government)
・ユーゴスラビア紛争1991〜2001年7万人以上(Humanitarian Law Center)
・アフガニスタン紛争2001〜2021年7万人以上(The Watson Institute for International andPublic Affairs)
・イラク戦争2003〜2011年約50万人(PLOS Medicine)
・シリア内戦2011〜2024年16万4000人以上(シリア人権監視団)
・ウクライナ戦争2022年〜1万3000人以上(国連人権高等弁務官事務所)
・パレスチナ・イスラエル戦争2023年〜5万人以上(パレスチナ・ガザ保健省。ただし戦闘員を含む)


戦後の長崎を舞台にした長編デビュー作『遠い山なみの光』が映画化

80年の平和を普通のことと思ってはいけない。常に世界の動向を見つめて
カズオ・イシグロさん(小説家)


カズオ・イシグロさん

1954年長崎県生まれ。父の仕事の関係で5 歳のときイギリスに渡る。一時ロックミュージシャンを目指すも執筆活動に入る。以降日本とイギリスという異なる文化を背景に数々の作品を発表。主な作品に『浮世の画家』(ウィットブレッド賞)、『日の名残り』(ブッカー賞)、『わたしを離さないで』など。2017年、ノーベル文学賞受賞。

『遠い山なみの光』
カズオ・イシグロ 著/小野寺 健 訳(ハヤカワ文庫)

2人の悦子と佐知子。長崎とイギリスを舞台に3人の女優が体現する戦後の影

まず映画の話から始めよう。『わたしを離さないで』『日の名残り』『クララとお日さま』などの小説を書いたノーベル文学賞受賞作家として知られ、日本でも多くのファンを持つ小説家、カズオ・イシグロさんの長編デビュー作品『遠い山なみの光』が映画化された。

監督・脚本・編集は『ある男』『蜜蜂と遠雷』などの作品を手がけた石川 慶さん。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式に出品された『遠い山なみの光』はプレミア上映され、好評を博した。日本ではこの9月に公開される。

物語の舞台は長崎とイギリス。1950年代、戦後の復興の途上にある長崎の町で出会った悦子(広瀬すず)と佐知子(二階堂ふみ)という二人の女性のひと夏の出来事を、1980年代になり、イギリスで一人暮らしをしている悦子(吉田 羊)が英国人の夫との間に生まれた娘のニキ(カミラ・アイコ)に語るという設定で物語は進む。

戦後の力強い女性像を演じきった広瀬すずさん(右)と二階堂ふみさん。

戦後の力強い女性像を演じきった広瀬すずさん(右)と二階堂ふみさん。

大学をやめて作家を志すニキは久しぶりに母・悦子の家を訪ね、自らの執筆のために母の過去を聞き出そうとする。最近悦子がよく夢で見るという長崎で出会った佐知子との思い出から悦子の話が始まる。

母の過去を聞き出そうとする娘のニキ(カミラ・アイコ)。

母の過去を聞き出そうとする娘のニキ(カミラ・アイコ)。

戦後の長崎の町で日本人の夫と近代的な住宅に暮らしていた悦子は、ある夏、ふとしたことですぐ近くに住む佐知子と知り合う。佐知子は幼い娘の万里子と朽ちかけた木造家屋に暮らし、アメリカへの移住を夢見ている。時折不可解な言動を見せる万里子と佐知子の関係は何かを暗示していて、悦子と佐知子、万里子の関係も危ういバランスの上に成り立っている。

娘のニキに問われて、記憶をたぐり寄せるようにして発するイギリスの悦子の言葉はどこか曖昧でミステリアスな気配を帯びる。ストーリーが進むにつれ、50年代から80年代の間に悦子に起こったこと、この物語に仕掛けられた“記憶の変容”が徐々に明かされていく。

ある夜、長崎の話を書きたいという差し迫った思いにとりつかれた

これは戦争映画ではない。昭和の慎ましい時代を映し出す映像はあくまでも美しく、長崎の原爆投下についてもほとんど表面には出てこない。しかし底辺にはひっそりと戦争の影が漂い、映画の全編を翳(かげ)りと不穏な空気が支配している。戦争により失われた生活が再建されるなかで取り残されていくもの、戦後の急激な価値観の変化への戸惑い、ぬぐい去りたいけれど消せない記憶……。戦争の傷跡といわれるものが目に見えにくい形で日常の生活の中に忍び込んでいる。

それらは、はっきりした形をとらず、まさに作品のタイトルのまま遠い山なみのようにぼやけている。それは何なのか、映画を観終わっても心の中で物語は続くのだ。例えば、消し去りたいけれど消しきれない戦争の記憶は、生きていくために思いがけない形をとることがあるのではないか、とか。
 
54年に長崎に生まれたイシグロさんは、5歳のときに、海洋学者であった父がイギリス政府に招かれたため、両親、姉とともにイギリスに渡った。『遠い山なみの光』は45年前、イシグロさんがイギリスの地で25歳のときに書いた小説だ。

79年、イシグロさんはイーストアングリア大学大学院の創作科に通うため、ノーフォーク州の農地が広がる小さな村の家の屋根裏部屋を間借りし、卓上スタンドとタイプライターを置くとほぼいっぱいになる小さな机で創作に打ち込む。短編を書くが、なかなかしっくりこない。そのとき、頭にふと長崎で過ごした記憶が甦る。その瞬間をイシグロさんはノーベル文学賞受賞記念講演の中で次のように語っている。

「ある夜のことです。その部屋に住みはじめて3週目か4週目のことだったでしょうか。不意にこれまでにない差し迫った思いにとりつかれ、気がつくと、私は日本について──生まれた町、長崎について──第二次世界大戦の終戦間際の話を書きはじめていました」(『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』より抜粋)

その短編が大学のクラスメートたちに好意的に受け入れられたことに自信を得て、本格的な長編執筆に取り組み、4〜5か月かけて小説を完成させる。発表するや評判となり、王立文学協会賞を受賞。その作品が45年の時を経て映画化されたのである。

この映画のテーマは“希望”。勇気を持って前に進まなければならない

「不思議な経験です。この小説を書き始めた45年も前の私はまだ25歳と若くて、小説を書く経験もほぼゼロで、いろいろなことがわかっていなかった。その経験のない私が書いたこの小説が、今この素晴らしい映画になったというのはとてもシュールな体験です。当時の小さなテーブルで一生懸命小説を書いている私には、想像すらできなかったことです。

今思えば、この小説にはいろんな弱点があります。特に年をとった悦子が佐知子のことを話す、その表現手法が初心者っぽく、トリッキーになりすぎている。監督の石川 慶さんがこの問題をよく理解してくれて、脚本を書く前から、このことについてはよく話し合いました」

長年、この映画の実現に向けて力を傾けてきた石川 慶監督。

長年、この映画の実現に向けて力を傾けてきた石川 慶監督。

その成果は、3人の女優(広瀬すず、二階堂ふみ、吉田 羊)のスクリーンの中での個々の存在感に如実に表れている。石川監督は悦子を演じる広瀬さんに、小説の中の悦子がまさにここにいると感じたというが、現実と非現実の間で生きているかのような佐知子を演じる二階堂ふみさんも、自然に囲まれたイギリスの家で後の悦子を演じる吉田 羊さんも、小説の描く人物像を美しく体現している。

原作で至らなかった部分を映画が見事に描いてくれていると語るカズオ・イシグロさん。

原作で至らなかった部分を映画が見事に描いてくれていると語るカズオ・イシグロさん。

「広瀬さんと吉田さんは同じ悦子の若い頃と年齢を重ねてからを演じています。一般に、登場人物の若い頃と年を取った頃を異なる役者が演じると、違和感を感じることがよくあるのですが、今回はそれがとてもシームレスでした。

長崎での悦子と佐知子のシーンも素晴らしい。自分の過去の経験の影響で世界に対して恐れを持っているわけですが、同時に勇気を持ち、希望を抱いている。映画の第一のテーマである“あきらめないで勇気を持って前に進まなければならない”ということを彼女たちがうまく伝えてくれています」

取材・構成・文/三宅 暁 

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