〔特別対談〕養老孟司さん × 伊藤弥寿彦(生物研究家)さん 『古事記』の「花鳥風月」・後編 およそ1300年前に記された『古事記』に登場する生き物を、生物研究家・伊藤弥寿彦氏が21世紀日本に訪ね歩き、『
古事記の博物図鑑』を上梓しました。「草創期の日本人が触れていた自然を、いま目の前に見せてくれる。歴史・自然に関心がある人、必読の書。」と推薦文を寄せる養老孟司氏は、長年の「虫屋」仲間。「古事記と自然=花鳥風月」について、お二人に語り合っていただきました。
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本居宣長以来の定説をくつがえす大発見
出雲神話で火起こしに使われた海藻は?

島根県出雲市の稲佐の浜。
──論文になるような大発見もされたそうですが、それは何でしょう?
伊藤 海藻です。出雲神話の「国譲り」のお話で、オオクニヌシがアマテラスの孫に国を譲るにあたって、「国を譲る代わりに、私を立派な宮殿で祀ってください」とお願いします。それで新宮殿が築かれ、お祝いの宴でクシヤタマという女神が料理を作るのですが、突然クシヤタマは鵜に変身して海に潜ります。そして海底から赤土と、「め」と「こも」という海藻2種類を採ってきて、赤土でお皿を作り、「め」を臼にして「こも」を杵にして火を起こすと書いてあるのです。
神道では儀式の際に鑽火(きりび)を用いる(〈舞きり式〉伊勢の神宮 写真提供:神宮司庁)。
私は無知でしたから、臼と杵は餅つきに使うものなのに、どうやって火を起こすのかと思っていたら、火鑽(ひき)りをするときの道具を臼と杵というのだと知りました。
古代(きりもみ式)の火鑽杵(ひきりぎね)と火鑽臼(ひきりうす)(新潟県埋蔵文化財センター)。
養老 本来は、そちらが元なのです。
伊藤 本居宣長は、「め」というのはおそらくワカメ、カジメ、クロメと○○メとついている海藻のことだろう、「こも」はよくわからないがホンダワラのことではないか、と書いています。
私はとりあえずスキューバダイビングで葉山の海に潜って、海藻の写真を撮りに行きました。そこで感激したのが、ワカメのメカブが火鑽りの臼と同じ形をしていたことです。おおーっ、と思いました。「め」はワカメしかない。そしてワカメの群落の向こうにはカジメの群落があって、カジメの茎を見たら、まるで杵のようでした。「こも」はカジメだと確信したのです。
メカブがついたワカメ茎状部。

カジメの茎。
さらに出雲の海へ調べに行ったら、出雲の日御碕(ひのみさき)にはカジメ丼という名物がありました。しかしいろんな文献を読むと、日本海でアラメはたくさん出てくるのですが、カジメは出てきません。だからカジメ丼はアラメを使っているのではないかと思って、地元のお土産屋さんで聞いたら、アラメとカジメはまったく違うものだと断言されました。アラメは乾燥させて、それをもどして食べる。一方カジメは刻むとネバネバして、それを丼にして食べる。現地には両方ありました。ではどうしてカジメが文献に出てこなかったかというと、日本海にあるカジメは、クロメという名前の海藻として扱われていました。
研究者に聞いたら、クロメはカジメにものすごく似ていて、DNAを調べたら亜種関係ということに今後なるかもしれない。ほぼカジメと言ってもよいのだそうです。学術的な分類も恣意的なものであり、人によって違うのです。
養老 違いをどこまで重要視するか、ということです。その違いを見つけた人は、どうしても違いを強調したくなるから、別な種類だと考える。しかし一方で、そんなに小さな違いは無視してもいいという人もいるのです。その二人は必ず喧嘩します。今も学会などでしょっちゅうやっています。
伊藤 養老先生が詳しい、ゾウムシの世界でもそうですね。つい先日、先生が調べているヒゲボソゾウムシの仲間の新種が見つかったのです。普通の人が見たら同じにしか見えませんが、先生には違いが見えてしまうのです。
養老 たとえ見えてしまっても、やり方の一つとして、無視があります。細かいことだから、違いのないことにしよう、と。それができないで「違う!」と頑張ると、どうしても名前を変えて、学術的に分類しなければなりません。それも面倒臭い話なのです。
──でも、どうしてもその違いが見えて気になってしまうのですね。養老 丁寧に見ていたら気がついてしまう。見ていない人は、そんなことをしてもキリがないだろうとか思うのでしょうが……。
── 興味深いです、自然は発見の宝庫なのですね。この本を読んで、そんな豊かな自然に触れながら散歩したい、と思う人がたくさん出てくるとよいと思います。養老 今はだんだんそういう傾向が強くなってきているのではないですか。『
古事記の博物図鑑』と、自然を通して『古事記』を読む、ですね。
伊藤 ありがとうございます!
養老孟司(ようろう・たけし)1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。東京大学名誉教授。専門は解剖学。著書に『唯脳論』(青土社)、『バカの壁』『身体の文学史』(新潮社)など、社会時評から科学論、文学論まで多数。
伊藤弥寿彦(いとう・やすひこ)/生物研究家1963年東京都生まれ。セント・クラウド州立大学卒業(動物学専攻)後、東海大学大学院で海洋生物を研究。自然番組ディレクター・昆虫研究家として世界中をめぐる。NHK『生きもの地球紀行』『ダーウィンが来た!』シリーズほか、『明治神宮 不思議の森』『南極大紀行』『プラネットアース』『伊勢神宮 光降る悠久の森に命がめぐる』など作品多数。初代総理大臣・伊藤博文と、易断家・高島嘉右衛門は曽祖父にあたる。
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天岩屋戸の前で啼いた長鳴鳥とは? 八岐大蛇(やまたのおろち)の目に似ていたという「赤かがち」の実とは? アマテラスが身につけていた勾玉(まがたま)の材質は? およそ1300年前に記された、現存する日本最古の書物『古事記』に登場する動・植・鉱物を、生物研究家である伊藤弥寿彦氏が現代日本に訪ねた圧巻の博物誌。

映像ディレクターでもある著者自らが撮影した1000点近いビジュアルは、古代人の豊かな自然観を実感させ、新しい『古事記』の世界が広がります。本居宣長以来の定説と異なる独自の解釈なども交え、知的刺激に満ちてめっぽう面白い! 後世に伝えたい新たな『古事記』本の誕⽣です。・
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刊:世界文化社
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ISBN:978-4-418-24211-5
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