[連載]アメシストの神秘 紫の復権 紫。それは神秘の色といわれます。宝石の第一人者である諏訪恭一さんはある日、一面に咲く花菖蒲に心引かれ、その魅力を探求するうちに、アメシストとの共通点を見出しました。紫の宝石アメシストは、遥か昔、約5000年前にその美しさを見出されながら、この200年間は不遇の時代とも考えられます。ともに神秘性を湛える鉱物と植物。今こそ、紫の持つ秘密を解き明かし、宝石アメシストの価値を復権すべく、あらゆる角度からその魅力を紐解いていく新連載のスタートです。
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「宝石」と「植物」“紫”に宿る人々の情熱
諏訪貿易会長 諏訪恭一さん×東京大学大学院理学系研究科附属植物園技術専門職員 清水淳子さん対談
宝石界の重鎮、諏訪恭一さんを魅了し、アメシストを想起させた小石川植物園の花菖蒲。その立役者は、植物の維持管理を担う技術専門職員の清水淳子さんでした。宝石と植物、それぞれの美しさを最大限に引き出す達人お二人の対談をお届けします。
小石川植物園に咲き競う花菖蒲。右から、「朝日空」「煙夕空」「江戸紫」「寛政」。花弁に縮緬地と呼ばれる凹凸がある「朝日空」のみ伊勢系で、ほかの3種は江戸花菖蒲(江戸系)。
諏訪 私はアメシストと同じ青紫色の花を持つ「寛政」に出会って以来、花菖蒲への関心が尽きないのですが、そもそも花菖蒲とはどういう植物なのか、ご説明いただけますか。菖蒲湯に入れる菖蒲とは関係ないんですよね。
清水 おっしゃるとおり、菖蒲はショウブ科(旧サトイモ科)、花菖蒲はアヤメ科で、まったくの別物です。そして、花菖蒲は「ノハナショウブ」という1つの野生種から人間が選抜、交配などにより作った園芸品種なんです。ノハナショウブの中に稀に出現する変異個体を見出して作っていった結果、現在、多様な花菖蒲が存在しているのは、素晴らしいことだと思います。
諏訪 花菖蒲が盛んに作られるようになったのは、江戸時代だそうですね。
清水 はい。江戸時代の後期、旗本で園芸家の松平定朝(さだとも)(1773~1856年)が作った花菖蒲が大本となって、数多くの品種が育成されました。明治に入ってアメリカへ輸出され、大変人気になったものもあります。主なものに「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」があり、小石川植物園の品種は大半が江戸花菖蒲と呼ばれる江戸系です。
諏訪 花菖蒲はさまざまな地域で発展したのですね。浮世絵に描かれたり、歌に詠まれたり、文化的な題材になっていることからも、当時の人たちに好まれていたことがわかります。
清水 花が少なくなる梅雨時期に咲くため、喜ばれたのではないでしょうか。気持ちも沈みがちな雨の日に、水滴を湛えた花を眺めると癒やしになりますし。あとは、きものの柄にも通じる絞りや砂子(細かい斑点模様)、グラデーションによる色彩の美も、花菖蒲が好まれた理由ではないかと思います。
「花菖蒲は人が作り出した園芸品種。その価値ゆえ、宝石と同じように次世代へ受け継がれていきます」
──清水淳子さん
諏訪 アメシストの原石にも紫のグラデーションになっているものがあります。紫という色自体だけでなく、そういうところも似ていますね。
清水 私も、花菖蒲そっくりな紫のグラデーションを持つアメシストを拝見したときは、大変驚きました。色が均一でないのは、宝石も植物も自然のものだからですね。
諏訪 そうですね。不完全でありながら調和が取れているところに、自然の神秘を感じます。昨夏、仕事でドイツを訪れた際、「虫と石」をテーマにした展覧会のカタログを見る機会があったのですが、宝石さながらに青く輝く蝶の写真には目を見張りました。地球が生み出したものが見せる色というのは、石も花も虫も、どこか温かみがあるように感じます。
清水 確かにそうですね。
アメシストの原石。淡い紫のグラデーションや赤みのある紫、青紫など、色のバリエーションは見事に花菖蒲と重なる。
諏訪 ところで、私が格別に美しく感じた2023年の花菖蒲は、当時、維持管理を担当されていた清水さんの情熱の賜物と伺いました。具体的にはどんなことをされたのですか。
清水 私が小石川植物園に異動するまで、人手不足から花菖蒲がほかの草に埋もれ、花もあまり咲かなかった時期があったようです。私が専任で担当することになってからは、昔のよい状態に戻すため、特に株分けの作業に力を入れました。花菖蒲の株を掘り出して小分けにし、その中で元気なものを選んで植え直す作業です。すべてやり終えるのに約1か月半かかりました。何年も植えたままにしておくと株が弱ってしまい、最悪の場合にはその品種が途絶えてしまうので、2、3年に1度はこの作業をする必要があるのです。
諏訪 それはつまり、私が気に入っている「寛政」も、人が手をかけて、次世代に繫いでいかなければ、今のように愛でることができなくなってしまうということですね。人為的に作られたものは野生のものより弱く、維持するのが容易ではない。考えさせられます。
清水 見方を変えると、宝石と同じように、花菖蒲にも受け継ぐべき価値があるから、今日までずっと守られてきたのだと思います。小石川植物園では特に、2代目園長の三好 学の研究対象だった江戸花菖蒲を次世代に残すことを大切な使命としています。
「宝石が人に研磨されて輝くように花も手塩にかけて育てることで美しく咲くのですね」
──諏訪恭一さん
諏訪 しかし、約1か月半とは、時間も労力もかかりますね。花の季節の後にされたのですか?
清水 花が終わる直前から始めました。もったいなく感じるのですが、梅雨時期に終わらせるのが理想だからです。
諏訪 なるほど。梅雨時期の作業というのも大変そうですね。
清水 植物的には炎天下で根を痛められるよりはストレスが少ないんです。あと大切なのが、施肥(肥料やり)と除草作業です。開花時期は花がら(しぼんだ花)摘みも日課です。
諏訪 そうした日々のきめ細かな作業のおかげで、伝統ある植物が維持され、花を愛でる文化が継承されているのですね。事情を知らずに見ても、前年の花とは明らかに違うとわかったのですから、すごいことです。宝石が人の手で研磨されて輝くように、植物も手塩にかけて育てることで見事な花を咲かせるのですね。
清水 嬉しいお言葉ですが、諏訪さんの目が肥えていらっしゃるというのもあると思います。
諏訪 いやいや。手を抜かずに仕事を続ける大切さを改めて感じました。最後に、江戸花菖蒲を鑑賞する際のポイントを教えていただけますか。
清水 江戸花菖蒲は斜め上から見るのが美しいといわれています。一つ一つの花を近くで鑑賞するのもよいですが、江戸花菖蒲は屋外で群生している姿が格別なので、少し離れたところから花菖蒲田全体をご覧いただくのがおすすめです。小石川植物園では異なる品種をモザイク状に配置しているので、群生美をお楽しみいただけます。
諏訪 宝石と花は、見ると心が浮き立つところも共通ですよね。花菖蒲の季節が今から待ち遠しいです。
諏訪恭一さん(すわ・やすかず)1942年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。65年米国宝石学会(GIA)宝石鑑別士資格取得(日本人第一号)。諏訪貿易会長。国際貴金属宝飾品連盟色石委員会副委員長、国際色石協会執行委員などを歴任。2022年国立科学博物館特別展『宝石 地球がうみだすキセキ』監修。『決定版 宝石』(世界文化社)、『価値がわかる宝石図鑑』(ナツメ社)、『知っている人は得をしている宝石の価値』(新潮新書)など著書多数。
清水淳子さん(しみず・じゅんこ)東京大学大学院博士課程修了。博士(環境学)、樹木医。同大学大学院理学系研究科附属植物園に技術専門職員として勤務。2021~24年まで小石川植物園にて花菖蒲、サクラ類、梅林などの維持管理を担当。現在は日光分園(日光植物園)に勤務。特にサクラ類を専門とする。