志野流香道の初代・志野宗信(1443〜1523年)は足利義政の同朋衆の一人で、炷香(ちゅうこう)や聞香(もんこう)の作法を細かく定め、沈水香木の繊細な香りを「六国五味(りっこくごみ)」(6つの産地と5つの味)として分類するなど、現在の志野流香道の基を築きました。
また、義政所持の蘭奢待(らんじゃたい)を含む名香類から「六十一種名香」を選定するなど、後世に遺る偉業を果たしています。平安時代以来の薫物(たきもの)の香から、香木の香りを鑑賞する香道が成立したこの時代において、足利義政は香に関しても中心的な役割を果たした人物でした。
室町時代の中期、義政が戦乱の世を憂い、風雅な日々への憧れを実現するために築いた東山殿(のちの銀閣寺)を舞台に、さまざまな分野の芸術文化が新しく生まれました。
その文化は、義政の山荘の名前にちなみ、東山文化と呼ばれました。東山文化は、義政とその周辺の同朋衆を中心に、公家・武家・僧侶、さらにはその頃に台頭してきた町衆など、広い階層により育まれます。
茶の湯や立花(りっか)などがさらに栄えていくとともに、香道もまたこの時代に誕生し、発展することとなりました。相阿弥(そうあみ)、珠光(しゅこう)、宗祇(そうぎ)などの、茶の湯・連歌・絵画等の諸芸に優れた文化人が集う中で、名香を聞く機会もたびたびあったことでしょう。その中でも宗信は特に聞香の達人として名を得ていたと考えられます。撮影/本誌・坂本正行 取材・文/ふくいひろこ 撮影協力/東山慈照寺(銀閣寺)