女と男の明日を考える
女性の高等教育率が高くなればなるほど、その国の出生率が低下する、というデータがあるそうです。
なるほどなあ、とうなずく一方で、本当にそうだろうか、と疑う気持ちもないではない。
仕事と育児について
たしかに大学で学び、博士号の取得をめざして大学院に進み、一筋に研究生活に没頭するような女性にとっては、妊娠、出産、育児というのは大きな重荷にちがいありません。
もちろん世界には、学問、研究の世界で大きな業績をあげながら、母親としても立派にその役割を果たしておられる優秀な女性がたも少なくないことでしょう。
しかし、ごく一般的な話としていえば、それはなかなか困難な仕事であると考えられます。ことにわが国においては、です。
最近、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が出版されて、大きな反響をよびました。
仕事をすること。
本を読むこと。
この両者は、本来、矛盾することでもなんでもないはずです。
専門の本であれ、無縁の本であれ、本来、読書は仕事にプラスであり、どんな仕事にとっても大事なことです。
しかし実際には、文芸書などただの一冊も読んだことなく事業に成功している実力者もいる。
また逆に世俗的な成功者でありながら、実は人知れず多くの本を愛読している人物もいる。
トランプ新大統領の片腕となった大富豪、イーロン・マスク氏が、実は隠れた読書家であった、などという空想もありえます。
あの血の粛清によって旧ソ連帝国を築きあげたスターリンが、大変な読書家であったことも最近は知られるようになりました。
話がそれましたが、要は研究と出産、育児を両立させることが、どれほど大変かということを男性の側から想像しているのです。
両立させることができる人は、たしかにいる。しかし、それは普通の人ではない。なみはずれたエネルギーと健康に恵まれた岡本かの子は、三人の子供を産みながら、すぐれた詩業を全うしました。驚くしかありません。
普通の人がまねできないようなことをやりとげるから天才なのです。そして、世の中のすべての人が天才であるとは考えられない。
民主主義は、普通の人々、つまり私たちのための世の中の仕組みです。
右を見ても左を見ても天才だらけの社会を私は想像できません。それこそ劣等感で身がすくんでしまうでしょう。
人口減少はマイナスか?
話が横道にそれてしまいましたが、実は女性に高学歴者が増えたり、その他の理由で、出生率が低下することを私は憂えてはいないのです。
人口が減ると国のエネルギーが低下すると言われますが、はたしてそうでしょうか。
高価な宝石類がなぜ尊ばれるのか。
その素材そのものの特性もあるでしょうけれど、要はその希少性が根本だと思います。
いくらダイヤモンドが高貴な特性を持っているとしても、道端にゴロゴロ転がっていたのでは人は見向きもしないでしょう。
少ないということは、一つの強みでもあります。
高齢者を国が強制的に除去する話を書いた小説があって、一時、話題になったことがありました。
高齢者ばかりが増え、若者の数が激減するとなれば、若い世代の希少価値は急上昇します。
高齢者が働いて、少数の若年世代の社会保障を充実させるという、逆転現象がおこらないとも限りません。
三十年以内に巨大地震が日本列島をおそうだろう、と学問的なデータをもとに確言する学者、専門家もいます。
ここで少し角度を変えて出産について考えてみましょう。
もし、男性にも子宮があって、妊娠、出産、という経過を経ずに子供を産めると仮定します。
はたして世の男性たちは、その重責に耐えることができるでしょうか。私はできないと思います。
「代理母を活用すればいいと思いますよ」
と、ある専門家が言いました。
「ウクライナなど、以前から代理母の引受け地として国際的に有名でしたからね」
思わず絶句してしまいました。
考えれば考えるほど頭が混乱してきて、明確な答えがでてきません。
女性が男性と同じように、同等の権利と義務をおう、そのことは無数の難問をはらんでいます。口でいうほど簡単なことではないような気がしているのです。
それがどういうことなのか、永遠の謎では困るのですが、答えは簡単ではないようです。
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》この三十年ほど、新しい服やシャツを一着も買っていません。靴もです。古い昔の服のほうが安心なのです。肩パッドのはいった大きな上衣に、幅広のズボンに杖をついて街を歩いていると、別世界からきた生物のような気になります。それも悪くない気分です。