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「目黒」という名字のルーツ。平安時代の武士団が、今の目黒区に住んだのが始まり

2025.02.27

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墨アート製作/越智まみ

名字365 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を毎日紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

目黒(めぐろ)

「目黒」という名字、最近では俳優の目黒蓮さんが活躍していますが、山手線の駅もある東京の目黒を連想する方も多いと思います。

確かに「目黒」という名字のルーツは東京の目黒ですが、実は東京には「目黒」という名字はそれ程多くはありません。名字はルーツの場所に集中しているとは限らないのです。

そもそも「目黒」という地名の由来は何でしょうか。


「目黒」の由来には諸説あります。目黒区の公式サイトでは、「め」は駿馬の「馬(め)」であるという説を紹介しています。確かに、目黒周辺には駒場、駒沢、上馬、下馬など「馬」に因む地名がたくさんあります。

そして、「くろ」は田んぼの畔道を指しています。イネの緑が広がる水田の中で、あぜ道は黒っぽく見えたことから「くろ」と言われました。古い時代、関東や東北では「あぜ」よりも「くろ」と言われることが多かったのです。つまり、「目黒」という漢字は当て字なのです。

平安時代、武蔵国には児玉党という武士団が広がっていました。この中の一部が武蔵国荏原郡目黒(現在の目黒区)に住んで「目黒」を名字としたのが、目黒氏の始まりです。

目黒氏は鎌倉時代には御家人となり、陸奥国に所領をもらって移り住みました。

そして、会津只見で戦国大名芦名氏に仕えていた目黒氏は、やがて会津を離れて越後国魚沼郡の広瀬郷(現在の新潟県魚沼市)で帰農しました。そして、江戸時代は代々庄屋をつとめ、魚沼地方を代表する豪農となったのです。

江戸中期の寛政年間に建てられた邸宅は、国の重要文化財に指定されて一般公開されています。

現在でも会津の只見町では「目黒」が町で一番多い名字となっています。

「目黒邸」詳しくはこちらからご覧いただけます(魚沼市公式サイト)>>

森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/

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