〔特集〕美輪明宏さんが遺した心 「光明」を抱いて生きる(後編) シャンソン歌手で俳優の美輪明宏さんが、2026年6月20日、91歳で永眠されました。美輪さんは、1980年代より本誌にたびたび登場し、時代ごとに、深く粒立ちのくっきりとした言葉を遺されています。芸術や文化、歴史を語った記事を振り返りながら、「美輪明宏さんが遺した心」をお伝えします。・
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音楽、美術、文学、スポーツ。精神にとっての食べ物は文化です
2013年2月号「ふたりのピアフ 今、愛を謳う」のテーマで大竹しのぶさんと対談。撮影/篠山紀信
質のよい文化に触れて心の健康を保つ
フェデリコ・フェリーニ、エディット・ピアフ、三島由紀夫や寺山修司など、美輪さんはさまざまな芸術家についても深く掘り下げています。
2013年2月号「ふたりのピアフ 今、愛を謳う」では、大竹しのぶさんと舞台でピアフを演じることについて語り合い、反響を呼びました。「愛の讃歌」「バラ色の人生」など数々の名曲を世に送り出し、47歳で波瀾の生涯を閉じたフランスのシャンソン歌手エディット・ピアフ。舞台でその人生を体現した二人ならではの、無償の愛に溢れる一人の人間としてのピアフの描写が印象的です。
美輪さんが作、演出、主演を務めた『愛の讃歌 エディット・ピアフ物語』の一場面。撮影/御堂義乗
渋谷の小劇場ジァン・ジァンでの独り芝居に始まり、多様な劇場でピアフを演じてきた美輪さん。自らが作・演出・主演を務め、音楽、舞台芸術、脚本と、重層的に作品を作り上げてきました。また、三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』や寺山修司の『毛皮のマリー』などで主演し、一流の才能と親密に交流。美輪さんの周りには常に上質な芸術、文化がありました。
五木寛之さんとの対談「豊かに生きるヒント」では、質のよい文化に触れることの大切さについて力説しています。
「人間は何でできているかというと、肉体と精神ですよ。体を維持するために大切なのは質のよい食事。では、精神にとっての食べ物は何かといったら、文化だと思うんです。文化も音楽、美術、文学、スポーツなど多岐にわたりますけれど、質のよい文化に触れないと心もやっぱり病気になるんです」
和やかで、みんな和する。「大いなる和」の心で
「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません」
美輪さんの死去に際し、事務所が発表した直筆メッセージには、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現への願いが込められていました。
美輪さんの愛用品。自分で蜥蜴のブローチをつけたカルティエのボールペンを、原稿を書く際に使っていた。
本誌においても、和を重んじ、世界と共存することの大切さを語っています。
「日本は国土が狭いせいか、どうしても物事を近視眼的に考えがちです。近隣諸国との問題についても、そうです。近頃、闇雲に、対抗心、反発心を抱く人も少なくありませんが、今、私たちが使っている文字にしても、きものにしても、もともとは大陸から流れてきたものです。民族そのものも、長い年月の間に渡来したさまざまな血が混じってできた複合民族です。日本は『大和の国』ともいいます。この字の意味するところは、『大いなる和』。和やかで、みんな和する。貧富の差も、美醜の差も、肌色の差も、年齢の差もない、すべての差別なく、なんでも来い、みんな懐に入れて仲よくしましょうということです。それが真骨頂。決して『戦争をする』とか『戦う』ことではないのです」
2016年1月号「初日への誓い」は、「私たちが道を過つことのないよう、何ができるかを考えてみてください」という、読者に向けての語り掛けで結ばれています。
美輪明宏(みわ・あきひろ)1935年5月15日、長崎県生まれ。国立音大附属高校中退後16歳で歌手活動を始める。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に出演して人気を博し、1957年に「メケ・メケ」、1965年に自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」がヒットした。俳優としても寺山修司や三島由紀夫の作品に出演。演出家、声優など多方面において活躍した。
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