エンターテインメント

「この本が人の心の中の安全地帯になれば」 小川洋子さん著『サイレントシンガー』

2026.02.12

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今月の著者 小川洋子さん

表紙というドアを開いて、何度でも訪ねたい、魂を慰める場所

6年ぶりの長編小説、『サイレントシンガー』を上梓した小川洋子さん。物語の発想の源などについて、お話を伺います。

主人公リリカは、おばあさんと二人暮らし。家の隣には、内気な人々が暮らす“アカシアの野辺”と呼ばれる場所があります。読み始めるとすぐに、ここではないどこか、物語の世界にすっと運ばれるという、小川洋子ファンにはなじみ深い感覚が訪れます。

「これまでのほとんどの小説同様、リリカとおばあさんの家や“アカシアの野辺”が具体的にどこにあるのか、この話がいつの時代のものなのかははっきりと決めていません。物語のほうが、そこを特定してほしくないというふうに求めたのかなという気もします。ただ、書いているときは、舞台となる場所のイメージがビジュアルとして非常にくっきり見えていました」


“アカシアの野辺”に雑用係として雇われ、近隣住民で唯一、出入りが許されているおばあさん。彼女に連れられ、リリカもそこで暮らす人々と、独自の“指言葉”で会話を交わしながら育ちます。幼いリリカにとっては、おばあさんと“アカシアの野辺”の人々が世界のすべてです。

「可愛がられて、大切にされた記憶が、リリカを支えています。私自身、子どもの頃は世代を一つ飛び越えた祖父や祖母とその友達に、とても可愛がってもらいました。一緒に遊んでくれて、条件付きではなく100パーセント受け入れられている、許されているという、子どもながらの安らぎを与えてもらっていましたね」

成長したリリカは、歌うことを覚え、その特殊な歌声が人々に求められるようになります。

「リリカは、風が森をすり抜けるように、誰の記憶にも残らないようにしか歌えない人です。誰かに認めてもらうためや、お金を稼ぐためではない、慎み深い歌を歌います。私は人間の声に非常に興味があり、ミュージカルが好きでよく観に行くんですね。レミゼ(『レ・ミゼラブル』)は何十回と観ました。歌には歌詞がありますが、言葉の心への響き方が、小説とはまったく違って、肉体そのものに届くという感じを受けます。そこがうらやましくもあります」

筋を追うというよりも、その世界に体ごと入り、いつでもまた戻ってきたくなるような小説です。

「 “こう読んでほしい”という思いはなく、この本以外に差し出せるものはありません。でも、お伝えすることがあるとすれば、“誰も私のことなどわかってくれない”と孤独に思うことがあっても、必ずあなたを見つめている人はいる、ということ。それをこの小説から読み取っていただけるのではないでしょうか。人の心の中には、安全地帯のような、かくまってくれる場所が必要です。私自身がそうで、『アンネの日記』のアンネが、ずっと友人の役割を果たしてくれました。この小説の中ではドヴォルザークの『家路』が流れますが、この本が、帰るべき秘密の場所であったり、過去の記憶への道筋になったり、また、誰にとっても人生において辿るべき、“死”という家に向かう“家路の伴侶”となればと思います」

写真/石川啓次〈文藝春秋〉

小川洋子(おがわ・ようこ)
1962年岡山県生まれ。1984年早稲田大学第一文学部文芸科卒業。1988年『揚羽蝶が壊れる時』で第7回海燕新人文学賞を受賞。1991年『妊娠カレンダー』で第104回芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。2024年日本芸術院会員となる。近著に『続遠慮深いうたた寝』(河出書房新社)など。

『サイレントシンガー』

小川洋子 著
文藝春秋 1980円

リリカとおばあさんの家の隣にある“アカシアの野辺”。そこでは沈黙を愛する人々が、自ら育てた野菜や手作りしたクッキーなどを販売しながら集団生活を送っている。やがてリリカは歌うことを覚えるが、その歌声は、聴く人の体内の奥深くに届き、はかなく消えてしまう特殊なもの。その歌声が、彼女を外の世界へと導いていく。

この記事の掲載号

『家庭画報』2026年02月号

家庭画報 2026年02月号

取材・文/安藤菜穂子

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