終戦の年に生まれ、今年傘寿を迎えた吉永小百合さんのロングインタビューが実現しました。登山にたとえれば、現在「八合目」だという俳優人生、最大の理解者だった亡き夫への思い、124本目となる最新出演映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』の撮影秘話……。ときに笑いながら、ときにしんみりと語られた吉永さんの「いま」をお届けします。
演じる役を好きになれるかどうか。
出演作を決める際の一番の決め手です

吉永小百合(よしなが・さゆり)さん
東京都生まれ。1969年早稲田大学を卒業。59年の『朝を呼ぶ口笛』で映画初出演。62年の『キューポラのある街』でブルーリボン賞主演女優賞受賞。同年公開の『赤い蕾と白い花』の主題歌「寒い朝」で歌手デビューも果たす。これまでに『おはん』『北の零年』『いのちの停車場』など数々の名作に出演し、多くの賞を受賞している。2023年の『こんにちは、母さん』でもブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、昭和、平成、令和の3時代に同賞受賞という快挙を達成。最新作『てっぺんの向こうにあなたがいる』は2025年10月31日公開予定。
昭和、平成、令和──映画の中で輝き続けて
銀幕デビューから66年。吉永小百合さんは時代を超えてスクリーンで輝き続ける稀有な俳優の一人です。周囲に求められるまま一年に何本もの映画に出演していた時期を経て、1980年に独立。以来、出演する作品は常に自分一人で決めてきました。
「出演の話があったときは、監督やプロデューサーの方から直接話を聞き、お受けするかどうか一人で決めています。どなたが監督かといったことももちろん大事ですが、一番の決め手となるのは、やはり『役』ですね。演じる人物を好きになれるかどうか。私はすごく不器用なので、自分が好きになれない役は演じられないんです」
出演124本目となる最新作『てっぺんの向こうにあなたがいる』で吉永さんが演じる多部純子は、女性で初めてエベレスト登頂を成し遂げた登山家、田部井淳子さん(1939~2016年)がモデル。生前の田部井さんを知る吉永さんは、この役をオファーされると、すぐに快諾しました。
「田部井さんは2012年に私のラジオ番組にご出演くださったんです。そのときはもうご病気になられていたそうですが、そんなことは微塵も感じさせませんでした。世界的に名高い登山家でありながら、気さくで明るく、とにかく前向き。話していて楽しくて、すっかりファンになりました。田部井さんのピアスが素敵だったので、『私も70歳になったらピアスにしよう』と思ったほどです。なかなか勇気が出なくて実行できていなかったのですが、今回、田部井さんを演じることになって、踏ん切りがつきました」
ピアスの穴を開ける手術をしたことで、趣味の水泳を1か月間禁じられたのはきつかったといって、苦笑する吉永さん。映画でつけているピアスは、田部井さんが愛用していたものです。
「ご長男の進也さんからいただき、大切にしています。進也さんはお母様が始められた東北の復興を応援する活動を受け継いで、毎年、東北の高校生と富士登山をしているんですね。山のロケでは大変こまやかにサポートしていただきました。夫役の佐藤浩市さんと二人、山上で町を眺めながら話をするシーンの撮影後、後ろで見ていた進也さんが『本当におふくろがいるような感じがした』といってくださったのは、嬉しかったですね」
田部井さんの長男、進也さんが「おふくろがいるような感じがした」と話したシーン。各大陸の最高峰を踏破するため、世界各地を飛び回る純子を支えた夫・正明を佐藤浩市さんが好演している。
51年間連れ添った夫は俳優人生最大の支え
山への愛、夫婦愛、親子愛、友愛など、さまざまな愛が描かれている本作。佐藤さん演じる夫・多部正明は、登山に情熱を注ぐ純子の一番の理解者で、献身的に妻をサポートします。
「最初に阪本順治監督と浩市さんと3人で打ち合わせをしたとき、浩市さんは『僕はとにかく“受け止める”をテーマにやります』とおっしゃっていました。田部井さんのご主人にもお目にかかりましたが、本当に優しい方で、映画の正明そのままの印象でした」
柔和な表情で話す吉永さんですが、昨年9月、映画の撮影の最中に、夫の岡田太郎さんが他界。51年間連れ添ったパートナーを亡くした悲しみと喪失感は大きく、消えることがありません。純子が世界の名峰を踏破していくうえで正明の協力が不可欠だったように、吉永さんが俳優として活躍し続ける陰には夫のサポートがありました。
「夫は結婚してから、私の出演作はすべて、一人で映画館へ行って観てくれていました。コロナ禍のときもです。だから、今回観てもらえないことが、自分にとってどういうことなのか、まだちょっと心の整理がついていないというか……。夫は私の出演作について、決してけなしたり、私を傷つけるようなことをいったりせず、次に繫がるような前向きで温かいコメントをくれました。どれだけ救われたことか」
心に染みるお話に、「正明さんに負けないほど素晴らしいパートナーですね」と感嘆すると、即座に「負けないですね」とのお返事。力強い一言から、吉永さんの愛情の深さが伝わりました。
天国にいる田部井淳子さんに「映画、完成しましたよ」と伝えたいです
ひさしぶりの登山で感じた一歩一歩登ることの尊さ
40歳を過ぎてから水泳を一から学び、バタフライを華麗に泳げるまでになった吉永さんは、若い頃から体を動かすのが大好き。20代は仕事の合間を縫って、登山も楽しんでいました。
「初登山は同級生のお兄さんに連れていってもらったのですが、いきなり北アルプスの3000メートル近い山で。7月の4~5日間、よくわからないままついていって、夜は山小屋で大勢のクライマーたちと雑魚寝。誰かが脱いでポンと投げた靴下が私の顔に当たったり、びっくりすることばかりでした。でも、そのときに山の魅力に目覚めてしまい、年に何度か友達と登るようになったんです。ただ、30代が近くなった頃、『下るだけのほうがいいな』と思うようになって、スキーに鞍替えしちゃったんですけどね(笑)」
お茶目な表情で話す吉永さんは、それ以来、登山から遠ざかっていたそうですが、田部井さんを演じるにあたり、ひさしぶりに山歩きを再開します。
「撮影に入る前、最初に行ったのは那須の茶臼岳(那須岳)です。栃木で生まれ育った田部井さんが小学生のとき初めて登った山で、『ここが出発点なんだな』と思いながら登りました。その次は埼玉の日和田山。高度順応のために富士山にも何度か行きました。頂上までは行ってないんですけどね。田部井さんは生前、『あきらめず、一歩一歩登っていけば、夢は叶えられる』とおっしゃっていましたが、自分の足で一歩一歩登ること、登れることの尊さをしみじみ感じました」
田部井さんは人を勇気づける名言を数多く残していることでも知られ、本作のキャッチコピー「人生は、八合目からがおもしろい」もその一つ。田部井さんの著書のタイトルにもなっているこの言葉を、吉永さんはどうとらえているのでしょうか。
「実は私、映画のお披露目の記者会見で、記者の方から『いま、人生の何合目だと思いますか』という質問を受けたときは、この言葉のことを知らなかったんですね。『八合目でしょうか』と答えたのですが、それは偶然で。後から、キャッチコピーのことを知って驚きました。そして、自分も田部井さんのいうように、これからの人生を前向きに考えていけばいいのかしら、と励まされましたね」
一人の人間としてだけでなく、俳優としても八合目だという吉永さん。俳優人生の八合目地点で振り返ると、どんな景色が見えるのでしょう。
「私ね、意外と振り返らないタイプなんです。引退した後なら、過去を懐かしむのもいいかもしれませんが、いまはまだ、これからのことを考えるほうが楽しいですから。『あの頃はよかった』なんて、絶対にいいたくない(笑)。でも、富士山は八合目からがきついというし、山頂まで登れるだろうか、という不安はあります。そもそも俳優業にてっぺんがあるのかどうかもわからないし、あったとして、辿り着かないほうがいいような気もしているんですけどね。俳優として、あと何本、どういう形で映画とかかわっていけるのか。自分自身、先のことはまったくわかりませんが、てっぺんを仰ぎ見つつ、ゆっくり一歩一歩、歩いていきたいですね。できることなら、これからも、自分が心から好きだと思える役を、一つ一つ楽しみながら、精いっぱい演じていきたいと思っています」
傘寿を迎えてなお、自分の心に忠実に、前を向いて、俳優人生を歩み続ける吉永小百合さん。その姿と言葉は、私たちに希望と勇気を与えてくれます。
2025年10月31日より全国公開予定 『てっぺんの向こうにあなたがいる』

世界的な登山家・多部純子(吉永小百合)の人生をかけた山への挑戦と、その家族や仲間をめぐる愛と葛藤の物語。純子と盟友・悦子(天海祐希)のシーンは息がピッタリ。青年期の純子はのんが演じている。130分。●監督/阪本順治 原案/田部井淳子『人生、山あり“時々”谷あり』

2025年10月31日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開予定
https://www.teppen-movie.jp/