歌舞伎座 七月大歌舞伎『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』で明智光秀をモデルとする武智光秀の役に挑む松本幸四郎さん。光秀の足跡をたどる京都での一日に密着しました。
光秀に思いを馳せ本能寺跡へ、妙心寺へ

まず最初に訪れたのは、京都の中心部、堀川四条にほど近い油小路通と蛸薬師通が交差するあたりの「本能寺跡」。当時は東西150メートル×南北300メートルにおよぶ広大な寺域を誇りましたが、本能寺の変で焼失。豊臣秀吉によって寺町御池に移築再建されたため、現在、跡地には石碑のみが残っています。
「京都滞在中に車で通り“ここが本能寺だったのか”と思ったことはありましたが、しっかりと跡地に立ったのは初めて」と、幸四郎さん。光秀と信長の間にどんな軋轢があって本能寺の変に至ったのか……その物語は七月の歌舞伎座での舞台で描かれます。

続いて訪問したのは、臨済宗大本山 妙心寺。日本最大の禅寺とされ、約10万坪の敷地に46の塔頭寺院が立ち並びます。ご案内いただいた赤松宗典さんによると、妙心寺は建武4年(1337)に関山慧玄禅師(無相大師)を迎え、花園法皇により開山。応仁の乱で多くの堂塔が焼失しましたが再建され、歴史上の多くの武将、大名が帰依してきたそう。
明智光秀が登場する芝居として『時今也桔梗旗揚』と並び広く知られている『絵本太功記』では、本能寺の変の後に光秀が本陣を構える「妙心寺の段」があり、文楽では現在も上演されていることでもその名を知られています。

今回は、光秀ゆかりの「明智風呂」を特別に見せていただけることに。
『⻤平犯科帳』の撮影所のある太秦にも近い妙⼼寺ですが、「明智風呂は知りませんでした」と幸四郎さんは興味津々。

「浴室」の看板が掲げられた重要文化財の建物、通称「明智風呂」は、光秀の叔⽗である密宗(みっそう)和尚によって創建されたと伝えられています。
光秀は信長を討った後に妙心寺を訪れ、参拝。その際に寄進した浄財で、この「明智風呂」が創建され、明治の初めまで光秀の月命日とされる毎月14日に施浴が行われてきました。
「仏に仕えるために身を洗い浄めるとともに、逆賊という汚名を洗い流すという意味もあったのでしょうか」と、赤松宗典さん。
「表立って供養できない状況もあったのかもしれません。そんな時にお風呂で“浄める”というのは供養の形として素敵だなと思いました」と、幸四郎さん。
「明智風呂」で出会った光秀の辞世

風呂と称しても「明智風呂」には浴槽があるわけではなく、蒸し風呂。浴室の床に敷かれた簀の子の下にお湯を流し、隙間から上がる湯気で体を温めるスタイルで、現代のサウナに近いかもしれません。

「明智風呂」の中には、本能寺の変の後に妙心寺を訪れた光秀が遺したと伝わる辞世の漢詩が掲げられていました。
「順逆二門に無し、大道心源に徹す。五十五年の夢、覚め来れば一元に帰す」。
人生には順境の時と逆境の時があるが、どちらも同じ真理に帰着する。私の55年の人生の夢も、覚めてみればすべて一元に帰するものだ、といった意味でしょうか。
「運命を受け入れて、光秀の心は晴れやかだったのかもしれませんね」と、赤松宗典さん。

幸四郎さんは現在、53歳。この詩を遺したときの光秀とも近い年齢で、今、辞世に触れての思いは?
「この詩から何を悟るのか。すぐには理解し得ない部分もありましたが、死を覚悟するというのは当時の武人としてはあるべき姿なのでしょうね。ある意味、生き抜いた証なのかもしれません」

内部の撮影は叶いませんでしたが、妙心寺では「明叟玄智大禅定門」と戒名が記された光秀の位牌が祀られた仏殿にも参拝。
「謀反人、逆賊と言われた光秀ですが、最近は評価も変わってきています。本能寺の変を知った秀吉が中国地方から新幹線があったのかというスピードで京都に戻ったことで三日天下に終わってしまいましたが、実際はどうやって亡くなったかも定かではないですし、どんな野望を抱いていたのか、謎の多い人物です。こうして光秀が実在した場所に足を運んで同じ空気を吸うことで、何か力をいただきました」と、幸四郎さんは思いを新たにしました。
初役で挑む『時今也桔梗旗揚』

7月の歌舞伎座で上演される『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』は、文化5年(1808年)初演。鶴屋南北が五代目松本幸四郎に書き下ろした作品です。
史実の織田信長を小田春永、明智光秀を武智光秀と置き換え、人々の前で春永(信長)から辱めを受けた光秀が謀反を決意するまでが描かれます。
「曽祖父の初代吉右衛門から祖父の初代白鸚、そして父(松本白鸚さん)は2回、叔父(二代目中村吉右衛門さん)は何度も演じてきた大切な役です。今回は父に習って演じます。劇中で『時は今 雨が下しる皐月かな』という辞世の句をしたためる場面がありますので、父が書いた短冊を借りて、まずは習字の稽古から始めています」と、幸四郎さん。
©Naruyasu Nabeshima/KATEIGAHO
父の松本白鸚さんや叔父の二代目吉右衛門さん(写真)が演じる光秀の姿に、小学生くらいの頃から強い思いを抱いてきたそう。
「桔梗の紋の入ったあの拵えが魅力的で格好良く、憧れてきました。今回は叔父の衣裳を着させていただきます。先日、ポスター用の写真撮影で初めて袖を通したのですが、感慨深いものがありましたね。憧れていた気持ちを大切に勤めたいと思います」
前段の「饗応」の場で春永(信長)に接待のしつらえで不興を買い、小姓の蘭丸に折檻され眉間を割られた光秀。
今回上演される「馬盥」の場でも、馬の脚を洗う盥で酒を飲まされる、領地没収をほのめかされる、欲しかった名刀を他の武将に下賜されてしまう、貧しかった頃に妻が売った切り髪を見せつけられる‥‥と、屈辱的な仕打ちが続きます。
「耐えに耐えることで体の中のマグマがどんどん大きくなっていく。耐えるといっても決して女々しくはならず“耐える強さ” “こらえる強さ”がある光秀に、感情を発散しない役の面白さを感じます。ただ耐えているだけでもすべてが絵にならないといけないですし、滲み出す大きさを目指したいと思います。基本的に歌舞伎はお客様に現実を忘れていただくためにあると思っているので、あまり生々しく演じたくはないですが、(尾上)松也さんの春永と対峙する場面は、火花が散るような雰囲気になるといいですね。スリルやライブ感、美しさ、強さをどれだけお届けできるかですね」。
“耐えに耐える”といえば今回訪れた妙心寺の「明智風呂」は、現代のサウナのような蒸し風呂。
幸四郎さんはサウナはお好きでしょうか?
「僕はサウナは苦手なんです。汗かきなのでサウナに入らなくても汗をかけるので必要としない。よくサウナに入ると“整う”と言われますが、意味がわからない。もう少ししたら気温が35〜36度になるので、サウナに入らなくてもタダで熱い(暑い)思いはできますから」と、光秀の逸話には心動かされても、蒸し風呂には共感しかねる幸四郎さんでした。
最後に、幸四郎さんにとって『時今也桔梗旗揚』とは?
「どうやって残していけば良いかと考える“最重要演目“の一つです。今回は(息子の市川)染五郎が蘭丸で出演しますので、染五郎にも伝えていくひと月にしたいと思います。光秀という男の生き様、春永(信長)との緊張感‥‥それらを一度、しっかり演じて吸収した上で、今回は上演しない「饗応」の場や、そもそも現代では上演されていない場面も含め見直して手を入れて、いつか再構成できればと考えています」。
ジャケット17万6000円、パンツ7万1500円/ともにユーゲン(イデアス) お問い合わせ先 イデアス TEL:03−6869−4279
公演情報

NAGAISHI Katsu/©松竹
歌舞伎座 七月大歌舞伎2026年7月2日(木)〜26日(日) 休演日:9日(木)、17日(金)
昼の部 午前11時〜
『末広がり』『時今也桔梗旗揚』『御浜御殿綱豊卿』
夜の部 午後4時15分〜
『歌舞伎十八番の内 鎌髭』『神明恵和合取組』『新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子』
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/976