〔特集〕没後100年特別取材 クロード・モネ 睡蓮に至る道 クロード・モネが、ジヴェルニーの自宅で86年間の生涯を閉じてから、今年で100年。この記念すべき年は、現在開催中の東京・アーティゾン美術館での大規模な展覧会で幕を開けました。パリのオルセー美術館から来日した貴重な作品群とともに印象派以前の青年期から晩年の睡蓮に至るまでの、20世紀を代表する画家の生涯を辿ります。
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“庭” という作品 ── 自らつくり上げた風景を描く
ジヴェルニーへの転居後のモネは、絵画と並行して、庭づくりに没頭しました。
【日本初公開】《ジヴェルニーの自邸の前のクロード・モネ》1921年、作者不詳、オートクローム、オルセー美術館蔵
Photo ©Musée d’Orsay, Dist. GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF そして1889年のパリ万博で、その後の人生を決定づけるものと出合います。園芸家のジョセフ・ボリー・ラトゥール=マルリアックが出展していた、ヨーロッパで初めて品種改良に成功した色鮮やかな睡蓮です。
モネはすぐさまピンクを2つとイエローを4つ注文して育て始め、1893年には「水の庭」の造成に着手。数人の庭師を通年で雇い、睡蓮のためだけに暖房完備の温室を造営し、庭に隣接する道の土ぼこりが睡蓮の葉を汚すのを避けるため、舗装費用まで支払ったといいます。
モネが1883年にジヴェルニーに転居し、1893年に隣接する土地を購入して造成した「水の庭」。池には日本風の橋が架けられた。
「モネはひとつの眼にすぎない。しかし、なんという眼だろう!」 ── ポール・セザンヌ
クロード・モネ《睡蓮の池、緑のハーモニー》1899年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
Photo ©GrandPalaisRmn(musée d’Orsay) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF
睡蓮を描いた300点余りの作品のうち、日本風の橋を主題に描いたものは約50点。橋が架けられた1895年に2点、その後1899年~1900年、1918年~24年に集中的に制作。
「今年の夏にまたきて私の庭を見てほしい。それは私の誇りだし、喜びなのです!」 ── クロード・モネ
上は、冬の訪問客への言葉。美食家でもあったモネは、当時 “フランスで一番の食事” と評された自宅でのランチに客を招き、食後に “自身の最高傑作” と自負する庭を案内しました。風景そのものを自分の手でつくり上げること。それこそが、風景を描き続けてきたモネが生涯をかけて到達した芸術といえるのかもしれません。
クロード・モネ《ジヴェルニーのモネの庭》1900年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館蔵
Photo ©GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
60歳を過ぎてからは制作のための旅行はせず、「花の庭」(上)と「水の庭」(下)にイーゼルを立てて描き続けた。特に睡蓮をモチーフにした作品は、モネが生涯で描いた約2000点のうちの300点余りで、約15パーセントを占める。
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年、油彩・カンヴァス、石橋財団アーティゾン美術館蔵
(次回に続く。
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