〔特集〕没後100年特別取材 クロード・モネ 睡蓮に至る道 クロード・モネが、ジヴェルニーの自宅で86年間の生涯を閉じてから、今年で100年。この記念すべき年は、現在開催中の東京・アーティゾン美術館での大規模な展覧会で幕を開けました。パリのオルセー美術館から来日した貴重な作品群とともに印象派以前の青年期から晩年の睡蓮に至るまでの、20世紀を代表する画家の生涯を辿ります。
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近代化の風景を描いた
モネの生涯
モネは、彼が生まれて間もなく発明されたチューブ入りの油絵の具を使い、彼の成長とともに発展した鉄道に乗ってセーヌ川沿いを往来し、風景画を描きました。人の手が加えられていない断崖絶壁や岸辺から、自ら手がけた庭、古くからある建造物、そして近代化を象徴する鉄道駅までをも、等しく “自然の風景” として受け止め、光の移ろいによる色彩を探究し続けたのです。
[ モネの生涯 ]

1840 11月14日、パリで生まれる
1843 パリを起点とする鉄道網が本格的に整備される
1845 ル・アーヴルに転居。パリの画材店でチューブ入り油絵の具が流通し始める
1858 ル・アーヴルの北東ルエルにて、初めての油彩画《ルエルの眺め》を描く
エトルタ
19歳まで家族と暮らし、のちに《印象・日の出》を描いたル・アーヴルをはじめ、エトルタ、ディエップなど、ノルマンディー地方の海岸は、モネの風景画の原点ともいえる。時には暴風にカンヴァスを吹き飛ばされることもあったが、それでも通い続けた。©Marie- Anaïs Thierry
1859 単身パリに移住
1861 兵役に就き、アルジェリアで従軍
1865 サロン(官設展覧会)で2点の作品が初入選
1867 前年に出会ったカミーユ=レオニー・ドンシューとの間に長男ジャン=クロード・モネ誕生。困窮生活が続く
1870 普仏戦争勃発。カミーユと正式に結婚。徴兵を逃れるためロンドンへ
1871 パリに戻り、アルジャントゥイユに転居
アルジャントゥイユ
サン=ラザール駅から電車で約20分。妻のカミーユ、長男のジャンとともに1871年から78年まで暮らした。写真は74年に転居した当地で2軒目の家。《印象・日の出》や《サン=ラザール駅》はこの時期に描かれている。©Ville d'Argenteuil
1874 第1回印象派展に《印象・日の出》ほか11点を出品
1876 富豪の美術愛好家エルネスト・オシュデと知り合い、装飾画を制作
1878 次男ミシェル・モネ誕生。ヴェトゥイユに転居、破産したオシュデの妻アリスとその4人の子どもとの同居生活開始
ヴェトゥイユ
セーヌ川がU字に蛇行した先端にある小さな町。1878年から81年まで暮らし、破産した元パトロンのエルネスト・オシュデの妻アリスとその4人の子どもとの同居を始め、妻カミーユが亡くなるという波乱の日々を過ごした。©Nathalie Lecerf
1879 妻カミーユ死去
1880 ラ・ヴィ・モデルヌ画廊で初の個展を開催
1883 ジヴェルニーに転居
©Thomas Le Floch

ジヴェルニー
1883年に住み始めるが、その後も毎年、制作のための旅を続ける。1890年に邸宅と土地を購入した後は庭の造成に集中し、精力的に庭を描き始めた。1893年に隣接する土地を購入し「水の庭」の造成を開始。サン=ラザール駅から電車で約50分。©Alamy / amanaimages
1892 《ルーアン大聖堂》の連作に着手。前年に死去したエルネスト・オシュデの妻アリスと再婚
1895 「水の庭」の睡蓮の池に日本風の太鼓橋を架ける
1911 妻アリス死去
1912 白内障と診断される
1914 長男ジャン死去
1921 実業家の松方幸次郎がジヴェルニーを訪問し、作品を購入
1926 ジヴェルニーの自邸にて86歳で死去
1927 オランジュリー美術館開館
(次回に続く。
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