〔特集〕影絵作家・藤城清治 101歳 “生きる喜び”を届け続けて 戦前から絵を描き、戦後、絵の具のないなか“光さえあればできる”と影絵を始めた藤城清治さん。101歳の今なお日々創作に勤しむ藤城さんの原動力は、“生きる喜び”を表現すること。厳しい現実にも真摯に向き合い、平和を願いながら、夢と希望を描き続ける藤城ワールドへ、ようこそ。
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藤城清治さん+MISIAさん スペシャル対談(前編)
先生には200歳まで“光”を届けてほしいと思います── MISIAさん ──

「先生、こんにちは!」。親愛の情がにじむ笑顔で、藤城さんのアトリエに姿を見せた歌手のMISIAさん。その瞬間、藤城さんの表情がぱっと輝きました。お二人の交流は、MISIAさんがライヴツアーのロゴを依頼した2000年に始まり、開催中の『MISIA 星空のライヴXⅢ』ツアーのロゴビジュアルも藤城さんが制作しています。お互いに気心の知れたお二人が、人々に愛され続ける影絵と歌、平和への祈りについて語り合いました。
藤城清治(ふじしろ・せいじ)影絵作家。1924年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。慶應大学予科(高校)で猪熊弦一郎氏、脇田 和氏に師事。1948年から『暮しの手帖』に影絵を連載し、1952年に人形と影絵の劇団「木馬座」を結成。「ケロヨン」が爆発的人気に。世界各国で影絵展、影絵劇の上演を行う。現在も意欲的に創作活動を続ける。
MISIA(ミーシャ)1998年デビュー。「Everything」「アイノカタチ」など数多くのヒット曲を持つ国⺠的歌⼿。大阪・関西万博では「公式式典・公式催事」のプログラムの一環でスペシャルライヴを開催。社会貢献活動にも積極的で、国内の⼦どもたちのサポートなどに長年従事している。2026年1月より全国各地で『MISIA 星空のライヴⅩⅢ』を開催中。
MISIAさんのライヴに行くと若返った気持ちになって元気がでます── 藤城清治さん
MISIA 昨夏、お食事をご一緒したとき、先生が「ちょうど今、(MISIAさんのツアーの)ロゴを制作してるよ」とおっしゃったんですよね。私が「来年、年女なんです」といったら、「じゃあ、馬も描こうか」といってくださって。
藤城 馬を描くのは割合得意だからね。
MISIA 『星空のライヴ』のロゴをお描きいただくのは3回目ですね。馬が9頭なのは、ライヴが「“うまく”いく」とかけてくださったのかなと思ったんですけど、真相はどうでしょうか(笑)。
藤城 僕は考えすぎたらダメだと思ってるからね(笑)。馬は駆けるか、飛んでいくかだなと思いながら、いったん並べてみて。いいかなと思ったんだけど、夜中の12時頃、一人で見てみたら、「あれ、ここちょっと変なんじゃないかな」と感じて、少し変えました。
MISIA 夜中の12時にですか!?
藤城 12時か1時だね。その後、一晩寝て朝見ると、またダメだなというときもある。いろんな経験をしてきて大体のことはわかってるつもりなんだけどね。
MISIA ということは、このポスターは、先生が朝見ても昼見ても夜見ても、いいと納得された完成形なんですね。「考えすぎたらダメ」とおっしゃいましたが、先生の作品にはいつも祈りや願いが込められていると感じます。
『星空のライヴ』シリーズで最初にロゴを描いていただいた2021年は、コロナ禍で皆さんライヴも自粛していた時期でした。そのとき、先生は「僕はいろんな時代を生きて、戦争も経験したけれど、大事なのは、絶望の中でも希望を持って生きること。どんな時代も探せば生きる喜びは見つかるから。エンターテインメントが提供するのは、その生きる喜びだと思う。僕は『MISIAのこびとがみんなを幸せにするぞ』という思いを表現したんだ」とおっしゃって。
先生のロゴのもとで歌うときはいつも、「MISIA、一番大事なことを忘れないで。みんなに生きる喜びを届けるんだよ」と、先生が囁いてくださっている気がしています。今回も、絵の中を駆ける馬みたいに、みんなを元気づけられるように歌いたいです。
「先生のポスターからは『(歌で)みんなを幸せにして』というエールを感じます」── MISIAさん
MISIAさんは子どもの頃、雑誌で目にして以来、藤城さんの影絵の大ファン。右は『MISIA 星空のライヴXⅢ』のポスターの原画。
藤城 MISIAさんのライヴに行くと、勢いで何でもできた自分の若い頃がふわっと思い出されてね。みんなが振るペンライトの光が満天の星のようでいいなぁと思うし、元気がもらえます。
MISIA 先生が以前、「光というのは、小さくも、大きくも見せられる。影絵は特にそういう表現ができる。音楽も、小さい人間が遠くまで届けることができるところが、光と似てる」とおっしゃっていたのが強く心に残っています。ところで、先生は20年ほど前から、戦争を題材にした作品も描かれていますね。
つらいことを乗り越えて今がある。そういう絵を描かなきゃ本当の絵描きじゃないと思った
──藤城清治さん
藤城 僕が学生の頃はずっと戦争があってね。それでも絵は描きたかったし、見たかった。大学生のとき、海軍に予備学生として入る前日、「セザンヌや何かの絵を見ないまま戦争に行くわけにはいかない」と思って、一人で汽車に乗って倉敷の大原美術館へ行きました。そして、翌日、僕は入隊するとき、「絵を描くことだけは捨てない」と決めた。
予備学生は畑仕事や土木工事をしたのだけど、合い間に、農家の子どもが持ってきたゆで卵を描いてやったり。絵を描くと、子どもも、おばあちゃんやおじいちゃんもすごく喜んでくれて、泣いて喜ぶ人もいた。最後は九十九里浜で、明日にも敵が上陸するというときに、もうダメかなと思いながら、部下の少年兵たち100人ほどと人形劇や影絵をやってね。上の人も「やれよ。元気が出るから」と背中を押してくれました。
その後、日本は戦争に負けちゃって、僕は美しいものや可愛いもの、メルヘンを描いてきたけれど、人間は戦争以外にも、どうしたって、地震や嵐、津波といった災難に遭う。そういうものを題材にしながらも、見た人が目を背けたくなるような絵ではなく、「つらかったけど、あれを乗り越えて今がある」と元気がわくような絵を描かなきゃ本当の絵描きじゃないと、年とともに思うようになった。そして、そういうものを描いているうちに、痛みの中にも、人間が生きていくうえで一番大事な宝石のように美しく尊いもの、生きる喜びがあるとわかってきて。
(後編に続く。
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