〔特集〕影絵作家・藤城清治 101歳 “生きる喜び”を届け続けて 戦前から絵を描き、戦後、絵の具のないなか“光さえあればできる”と影絵を始めた藤城清治さん。101歳の今なお日々創作に勤しむ藤城さんの原動力は、“生きる喜び”を表現すること。厳しい現実にも真摯に向き合い、平和を願いながら、夢と希望を描き続ける藤城ワールドへ、ようこそ。
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[第2章]平和への祈り
80歳で見出した新たな使命
《悲しくも美しい平和への遺産》(2005年)
「原爆ドームを光と影で描き残したい。描かなければ」と7日間連続でスケッチし、新たな決意をもとに制作した作品。その最中に雨が降りだし、雨と涙に濡れながら描いたこともあった。
メルヘンの世界を描き続けてきた藤城さんが、戦争や災害をテーマに作品制作を始めたのは、サイン会のために広島を訪ねたことがきっかけでした。原爆ドームを前に、「今、自分が描かなければいけない」という衝動にかられたといいます。このとき、藤城さんは80歳。戦争体験者が減りつつあり、その傷や記憶が徐々に風化していると感じたからこその決意でした。
「父から、“今まで僕の作品を好きでいてくれたファンの方々が離れてしまうかもしれない。でも描きたいんだ。ごめんね”といわれました」と、長女の亜季さん。藤城さんが描き続けてきた夢と希望は、色とりどりのたくさんの折り鶴とともに、さらなる高みへと羽ばたきました。
その後も東日本大震災の被災地などを訪問し、悲しみや絶望の中にある一縷の希望と未来に光を当て、崇高な作品を描き続ける藤城さん。カッターを手に切り出す一本一本の線に、平和を願う祈りが込められています。
2012年11月、原発事故の影響を大きく受けた福島県双葉郡の浜通りに位置する大熊町を2日間にわたり訪問。藤城さんは防護服に身を包み、夢中でデッサンした。
《福島 原発ススキの里》(2012年)
かつての人の営みは一掃され、ススキが風に揺れる。しかし藤城さんは、熊川にサケが遡上しているのを発見する。絶望と希望が響き合う作品。右の岩に「世界がぜんたい 幸福にならないうちは 個人の幸福は あり得ない」という宮沢賢治の言葉が刻まれている。
《気仙沼 陸に上った共徳丸》(2013年)
津波で港から押し流された大型漁船「第18共徳丸」の姿を自分の目で見るため、宮城県石巻市を訪れた際に気仙沼まで足を延ばした。気温は0度。大雪が降るなかデッサンを続けた。
藤城清治(ふじしろ・せいじ)影絵作家。1924年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。慶應大学予科(高校)で猪熊弦一郎氏、脇田 和氏に師事。1948年から『暮しの手帖』に影絵を連載し、1952年に人形と影絵の劇団「木馬座」を結成。「ケロヨン」が爆発的人気に。世界各国で影絵展、影絵劇の上演を行う。現在も意欲的に創作活動を続ける。
(次回に続く。
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