〔特集〕パリで特別インタビュー 今最も注目されている 新進指揮者 米田覚士 ── 世界へ羽ばたく 若手指揮者の登竜門として権威ある国際コンクールで小澤征爾氏、佐渡 裕氏ら錚々たる先達に続き、2025年、米田覚士さんが満場一致で優勝の栄誉に輝きました。熱狂冷めやらぬ頃、パリを訪れた彼に独占インタビュー。無欲の才能の原点と今を語ってくれました。
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ブザンソン国際指揮者コンクールで、世界の頂点へ
コンクール決勝、米田さんはトップバッターで登場。ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団を40分間指揮した。
米田覚士(よねだ・さとし)1996年岡山県生まれ。東京藝術大学音楽学部指揮科卒業。4歳でピアノを始める。小学2年生の時に桃太郎少年合唱団入団。中学1年生の時に岡山市ジュニアオーケストラに入団し打楽器を担当。翌年、山田和樹と出会い指揮者を志す。岡山城東高校では一学年下にシンガーソングライターの藤井 風が在学。互いに刺激し合う存在に。東京藝術大学では小田野宏之、高関 健に師事。パーヴォ・ヤルヴィのマスタークラス、山田和樹の公開講座を受講。大学在学中、安宅賞受賞。2021年、第19回東京国際音楽コンクール〈指揮〉入選(日本人最高位)・奨励賞受賞。2025年、第59回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。2026年3月22日、『おいしいクラシック2026』(演奏:大阪交響楽団 会場:ザ・シンフォニーホール〈大阪〉)で指揮予定。
桃太郎少年合唱団でヨーロッパ初体験
フランス東部ブザンソンで、一人の日本人指揮者が大きな拍手を浴びました。第59回ブザンソン国際指揮者コンクール決勝で、3人のファイナリストのトップバッターで登場した米田覚士さんは、振り終えた瞬間をこう振り返ります。
「オーケストラの皆さんと意思の疎通が取れて、程よい距離感で一体になれたので、いけたかな、って思いました」。
表彰を受けるファイナリストの3人。右から米田さん、キリアン・フリーデンバーグさん(アメリカ)、シェ・ティエンイさん(中国)。
ところが表彰式では、3番手だった21歳の中国人候補者の名が聴衆賞、オーケストラ賞と続けて呼ばれ、「この人が全部取るんだなと思いました。先輩方から、3番手が1位になる確率が非常に高いと聞いていましたし」と米田さん。
けれども審査員長がスピーチの後、“サトシ・ヨネダ” と呼んだ瞬間の大歓声と、手にしたトロフィーでようやく、優勝をじわじわと実感したのだそうです。
2025年9月27日、ブザンソン国際指揮者コンクールの表彰式で審査員長のミヒャエル・シェーンヴァント氏から優勝のトロフィーを授与された米田さん。
米田さんの音楽の原点は、両親が新婚時代に暮らした社宅にあった1台のピアノでした。「これで自分の好きな曲を弾けたらいいな」と、米田さんの父は気軽な気持ちでピアノ教室に一年間通ったそうです。
やがて娘が生まれると、今度は娘もピアノ教室へ。弟の覚士さんもほどなく通うようになりました。「姉の練習を邪魔していたので、二人まとめて習わせたほうが親も楽だったんでしょうね」と笑う米田さん。気づけば、日常に音楽があることがごく自然な環境になっていました。
小学2年で入団した桃太郎少年合唱団は、岡山県知事がウィーン少年合唱団に感銘を受けて昭和37年に創設した、60年以上の歴史を持つ合唱団です。最盛期の団員数は約100人。小学3年生の米田少年が参加した欧州遠征では、レーゲンスブルク大聖堂やドボルザークホールで歌った記憶が今も鮮やかに残っているそうです。
その後、彼は岡山市ジュニアオーケストラにも入団しますが、それは人に惹かれての選択でした。桃太郎少年合唱団の指導者だった大塚 博先生が大好きで、その先生が日曜に指導しているジュニアオーケストラにも通うことにしたのです。そこで米田少年は打楽器を担当しました。
「合唱団でマーラーの8番を歌ったとき、目の前にトロンボーン奏者がいて、それがかっこよかったのでトロンボーンをやりたいと母親にいいました。すると、楽器は高価だし家を防音にできないと却下されて。代わりに母親がバチを2本買ってきて、『これを “コロコロコミック” の上で叩いて練習したらジュニアオーケストラに入れるだろう』と。だから打楽器なのです」。
オーケストラでの打楽器の出番は、ほかの楽器に比べると多くありません。結果として演奏せずに指揮者の動きを見ている時間が長くなります。米田さんが指揮者という存在に強く惹かれたのは中学2年の時、日本を代表する指揮者の一人、山田和樹氏が岡山市ジュニアオーケストラのタクトを取ったときでした。
折しも、それは山田氏がブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した翌年。「面白いお兄さんがいるな」と、その前途有望な若き指揮者のオーラが中学生の心に火を灯したのです。
高校受験の時には、「進学するなら公立の普通科」という父親からの条件がありました。そこで米田さんが選んだのが、自宅から自転車で5分ほどの岡山県立岡山城東高校普通科音楽学類。そして東京藝術大学へと歩みを進めていくことになります。
(次回に続く。
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