〔特集〕2026年開運祈願 ── 富士山から福来たる 「末広がり」の山容、日本一の高さが「繁栄」や「頂点」に通じることから、古くから“吉兆”とされてきた富士山。2026年の幕開けに際し、改めて日本の象徴であり、日本人の心の拠り所でもある霊峰富士の、霊験あらたかな力に触れることで、開運祈願をし、我が家に福を招きます。
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我が家に福を呼ぶ
“芸術(傑作アート)としての富士”を暮らしに
富士山の世界遺産登録に際し、その選考理由に挙げられた2大要因の一つが「芸術の源泉」。古(いにしえ)より現代に至るまで、富士山は脈々と日本の芸術的な創造にインスピレーションを与え続けてきました。
一方、日常の暮らしの中では、縁起のいい“吉兆”の象徴として、絵画や工芸品、道具などに取り入れられ、日本人の心の拠り所として感動や安心をもたらし、心を豊かにしてくれる存在です。ここでは今も「芸術の源泉」として息づく富士を紹介します。
芸術の源泉
──富士山絵画
「信仰の対象と芸術の源泉」として自然遺産ではなく、世界文化遺産に登録された富士山。「芸術の源泉」として、古より現代まで、脈々と芸術的創造力を与え続けている。写真は、兵庫県芦屋市在住の会社経営者が飾っている文化勲章受章者、絹谷幸二画伯の作品「新世紀日月富士」。「会社経営をしていると、見ると活力が生まれ、元気になる作品が必要です」。
富士は吉兆──経営者は富士を飾る。

ビジネス風水の世界では、山岳の絵画や写真を飾ると運気が上がるとされるが、その中でも富士山は別格。上写真・左の絵画は、文化勲章受章者、絹谷幸二画伯が、富士山が2013年に世界遺産に登録された際に描いた「祝 玉取り双龍不二山(あうん)」。181.1×227.3センチと絹谷富士の中でも最大規模の大作。関西の会社経営者の社長室にて。
「ビジネスにおいて運気はとても大事。この絵を見た時、購入者である先代は非常に強い“気”を感じたと聞いています。富士山の絵は縁起が良く、所有することで運気をつかむ・手繰り寄せることに繫がります。絹谷先生の作品は強烈な気を放っていますので、この絵を見た方は口々に『パワーをもらった』とおっしゃっていただけて大変、嬉しく思っています。先代が繫いでくれたご縁で、絹谷先生とは長らく懇意にさせていただきました。」と現社長の岩谷昌洋さん。
富士山と桜を競演させた絹谷作品「春爛漫湖上富士山」が別室には飾られている。「絹谷先生は、情熱的で生命力あふれる人。博学で知識人であり、話題豊富で、尽きぬ会話を楽しませていただきました。作品からパワーをもらうように、まさに絹谷先生ご自身がパワースポットのような人でした」。
現代アーティストを刺激する富士の魅力とは?
古来、富士山が描き続けられている理由と魅力の源泉とは何か。静岡県富士山世界遺産センター教授で、美術史を専門とする松島 仁先生に伺います。
脇役からスターダムへ
「富士山を描いた現存最古の絵画は、平安時代(1069年)の『聖徳太子絵伝』第3面(秦致貞(はたのちてい))です。しかし京都に住む平安貴族は富士山を見たことがなく、あくまでも周縁的な存在。絵師も想像で描いていて、実際の富士山とは形が異なります。
室町時代には、物語の背景ではなく富士山を中心的に描いた、雪舟(せっしゅう)筆とされる『富士三保清見寺図』が登場します。
江戸時代初期には狩野探幽(かのうたんゆう)が新しい構図の定型を生み出し、富士山絵画というジャンルを確立。そして傑作、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』が生まれます。浮世絵において、美人画や歌舞伎役者と同様に富士山がスターと位置付けられました」
権威の象徴からみんなの富士山に
「一方、富士山は常に権力者の権威の象徴でもありました。時の将軍たちは富士見をし、富士山と一体化することで権力を誇示したのです。歴代天皇で富士山を初めて目にしたのは、京都から東京へ行幸する際の明治天皇です。現在は焼失していますが、明治宮殿にも富士山を描いた大きな綴織(つづれお)りが掛けられました。
アーティストが権威や国威発揚などから離れ、個々の解釈で富士山を描くようになったのは、第二次世界大戦後といえるでしょう。国民の誰もが知る富士山をどう描くのか。アーティストにとっては、自らの画風を賭けて挑む、とても大きなテーマです。作者が熱量をもって描き、それが鑑賞者にも伝わる。このことが、描かれ続ける理由なのかもしれません」
松島 仁(まつしま・じん)静岡県富士山世界遺産センター教授、德川記念財団特別研究員、愛知県立芸術大学非常勤講師。1968年東京都生まれ。2009年学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程修了。専門は美術史、文化史。
(次回に続く。
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