
名水の里として知られる山梨。富士山、南アルプス、八ヶ岳など、大きく分けて6つの水源があり、それぞれ質の異なる水が湧き出しています。歴史的に酒蔵は物流の拠点となる海沿いの地域に集まることが多く、水源も限られます。一方、山梨には多彩な水源を生かした酒蔵が県内各地に点在し、それぞれ水の個性を映した日本酒を醸しています。


旅の最初に訪れたのは、山梨県東部・大月市にある笹一酒造。1661年創業、360年以上の歴史を誇る老舗酒蔵です。「笹一」や「旦(だん)」などの銘柄を手がけ、ANA国際線ファーストクラスで採用されるなど、その品質は国内外で高く評価されています。
笹一酒造の酒造りを支えるのは、富士御坂清流水の仕込み水。山梨県の地理的表示「GI山梨」を構成する6つの水の産地の1つ、富士・御坂水系の名水です。
「蔵があるのは、大月追分という、甲州街道から北口本宮冨士浅間神社へ向かう分岐点。昔から富士山への玄関口とされてきた場所です」。そう話すのは、笹一酒造の天野怜社長。この地に湧く水は、日本でも有数の超軟水でありながら、複雑な地層をゆっくりと通ることで絶妙なミネラルバランスを備え、やわらかな口当たりと奥行きのある酒を生み出します。


今回は特別に、普段は立ち入ることのできない酒造りの現場を見学しました。訪れたのは7月。取材時は仕込みの合間にあたり、醪を仕込むタンクは空の状態でしたが、地下深くから汲み上げられる仕込み水に触れると、冷たさの中にやわらかな質感を感じます。「この水は、触れた瞬間に違いがわかるほどやわらかいんです」と天野社長。
そんな笹一酒造は2013年、大きな転換期を迎えました。大量生産を支えてきた設備を見直し「量より質」へと大きく舵を切ったのです。「大量生産を支えてきた設備を撤去し、もう一度原点に戻って、少量高品質の酒造りに取り組もうと決めました」。
その決断は酒造りだけでなく、酒を届ける場所も変えました。専門店や料理店、海外の星付きレストラン、ANA国際線ファーストクラスなど、日本酒の価値を理解する人々へ届ける。酒造りでも、料理の味わいを引き立てる“食中酒”としての魅力を追求していきます。
そんな笹一酒造を代表する一本が、「八咫笹一(やたささいち)」です。「八咫」は、同社のモチーフでもある八咫鏡に由来する名前。山梨県産の酒米を100%使用し、口に含むと透明感のある旨味がゆっくりと広がる、水の綺麗さそのものを味わうような一本です。
直売所「酒遊館」で試飲した高瀬真奈さんも、「普段飲んでいるお酒と違って、常温なのに驚くほど飲みやすいです。これは買って帰りたくなります」と笑顔を見せました。
「富士山、南アルプス、八ヶ岳。それぞれの地域に酒蔵があり、水も食文化もまったく違います。山を歩けば塩分が欲しくなり、そこから味噌やほうとうの文化が生まれました。海が遠いからこそマグロの漬けも発達した。山梨の食文化は、すべて山と水から生まれているんです」と天野社長は話します。
旅はまだ始まったばかり。山梨の多彩な食を求めて、次ページでは南アルプスの日本酒と和菓子を訪ねます。
●笹一酒造(ささいちしゅぞう)
山梨県大月市笹子町吉久保26
営業時間:9時30分~18時
TEL:0554-25-2111
URL:https://www.sasaichi.co.jp/
撮影/大見謝星斗