
独特なシルエットの青螺山(せいらさん)が切り立つ谷あいに、レンガ造りの煙突や窯元が立ち並ぶ佐賀・伊万里の大川内山(おおかわちやま)地区。「秘窯の里」とも呼ばれるここは、日本が世界に誇る磁器「鍋島焼」のふるさとです。
鍋島家が治めていた佐賀藩の焼物として「鍋島焼」が作られるようになったのは17世紀のこと。延宝3(1675)年、この地に佐賀藩主導による本格的な御用窯が置かれ、製作が開始されていたと伝えられています。
江戸時代の鍋島焼は、将軍家への献上品や諸大名への贈答品として使われる、すべてオートクチュールの器のみを製造。一般市民が入手したり、市中に出回ることは一切ありませんでした。それだけに、すべての点で最高の品質が求められたのです。廃藩置県のあった1871年以降はそれぞれが民間の窯となり、販売もされるようになりましたが、培われた技術と伝統は21世紀の現在も変わらず守られています。
今回、フランク ミュラーの献上瓶子(へいし)を手がけるのは「鍋島御庭焼」。藩窯直系であり、明治以降も鍋島侯爵家御庭焼を担ってきた伝統ある窯元です。鍋島家の家紋「杏葉」を使うことが許されている唯一の窯元でもあります。そしてこのアートピースが“6代目”市川光春さんのデビュー作。

「先人たちが培ってきた350年という時間の重みは、自分自身が肌で感じています」と“時”をテーマにした作品作りに自らの想いを重ねます。
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「大胆に舞う蝶々を描きたい。今回の献上瓶子の絵柄を考えるにあたり、最初にそう閃きました。それはフランク ミュラーの“ビザン数字”に、エレガントな躍動感とみなぎる生命力を感じたから。私たち鍋島御庭焼を代表するモチーフである蝶12羽で、“時”の無限な自由さも表現したかったのです」(6代目市川光春さん)。
輝くような白磁に、染付、そして緑・黄・赤の3色を基調にした絵付けを施す“色鍋島”の瓶子。伝統柄もまとうカラフルな蝶を大きめに描くことで、広々とした空間に置いても伸びやかな存在感が発揮されます。
通常の製作においても、すべてオーダーメイドで受注、というスタイルを守る「鍋島御庭焼」。器を納める先様との密なコミュニケーションは、イメージを広げるうえでは欠かせません。
「時計作りはもちろん、さまざまなものづくりにおいて、手にした人が唯一無二を感じられる視点を大切にされている、というお話を伺いました。たとえば、一見すると見過ごされがちなディテールに“創造性”を忍ばせるような……」。
考え抜いた末に6代目がチョイスしたのは、鍋島御庭焼だけに使用を許された鍋島家の家紋「杏葉」をアレンジしてあしらうこと。密やかに金も忍ばせます。そして上部には漢数字と古代数字などを組み合わせた数字を七宝の中に落とし込み、ここでも“時”を表現(写真上)。
鍋島焼351年目のスタートを飾る逸品には、伝統とモダンが美しく溶け合います。
「鍋島御庭焼」6代目 市川光春
鍋島御庭焼史上初の女性当主である5代目(左)と6代目。鍋島家当主から賜った「鍋島図案帖」を家宝に製作に取り組む。今回の「献上瓶子」は6代目が担当。「鍋島御庭焼の作品が初めて海を渡り、スイスの本社へ届けられることを思うと、胸がいっぱいです」(5代目)。


江戸時代に佐賀藩で行われていた献上の歴史を再現し、平成元年からお城のある自治体の首長などに「鍋島焼献上の儀」を行っている伊万里鍋島焼協同組合。現在、献上されるのは神前に供える酒器で、“祝祭の器”とされる瓶子が用いられます。
〔下絵線描き〕
〔下絵だみ〕
〔赤絵線描き〕
〔赤絵だみ〕素焼き生地に青(呉須)で下絵の線を描き、濃淡のトーンをつけながら色をつける(=だみ)。釉薬をかけて焼成し、色を定着させたら、赤・黄・緑の色を同様の作業で入れ、最終的に上絵窯へ。場合によっては何度も窯焼きを行う。完成までには、通常半年以上を要する。
鍋島焼の伝統や技術を後世に伝えるため、往時の技法を使って焼き上げた「現代の献上品」29品に加え、今作フランク ミュラーに献上の「色鍋島蝶地文唐草瓶子」も展示。2026年2月13日~3月12日に開催。
佐賀県立美術館3号展示室にて。
佐賀市城内1-15-23
9時30分~18時(2月13日は13時~)
月曜休館
※2月23日(月・祝)は開館、2月24日(火)は休館
無料
主催:佐賀県
この記事の掲載号
撮影/鍋島徳恭 取材・文/露木朋子