皆さんは「郡内織物」をご存じでしょうか? あまり聞きなじみがないわ、という方が多いかもしれません。実はこの織物、昭和初期まではまさに一世を風靡し、そして今また注目されている山梨県産の織物なのです。
今回はこの「郡内織物」の過去・現在・そして未来について、ご紹介していきます。
「無名」の産地から、日本一元気な「ハタオリマチ」へ。技術力と洒落心と職人のDNAがつないだ、山梨県の織物産業の今
山梨県といえば富士山。そのふもとにある富士吉田を中心とした郡内エリアは、織物の産地として1000年以上の歴史をもっています。水が綺麗な土地として知られる山梨県ですが、ここ富士の地で数十年の歳月をかけて濾過された雨雪はとりわけ軟らかく清らかな水になり、これがシルクの染色に非常に適していることも織物業が繁栄した理由の一つ。特に「甲斐絹(かいき)」と呼ばれる絹織物は、100年以上前から今日に至るまで盛んに作られています。
富士吉田市の商店街のまっすぐ先に、霊峰富士がそびえます。©Tomoko Mohri(TRICKY inc.)
今もこの地には、社員が10人にも満たない小さな工房がたくさんあり、糸を染めて機を織り、実に様々な製品を作っています。服地はもちろん、傘、ネクタイ、ウェディングドレス、カーテンなどのインテリアファブリック……。シルク以外の素材も多く手掛けており、総称して「郡内織物」と呼ばれています。
なぜその名が知られていないのか? その理由を探る前に、まずは2025年10月に開催されたとあるイベントの様子をご覧ください。その名も「ハタオリマチフェスティバル」。10年前、郡内織物の工房が一堂に会し、山梨県富士吉田の街全体を使ったイベントをスタートさせました。
テキスタイルの販売だけではなく、学生たちの試作研究の発表展示や、ワークショップ、飲食など様々なブースが富士吉田の街中に並びます。

全国から参加者が集うのもハタオリマチフェスティバルの大きな特徴です。

富士吉田市にある小室浅間神社の境内にも、たくさんのテントが並びます。
主催は富士吉田市で、若手のデザイナーやアートディレクターが企画・運営を担当したこの取り組み。次第に注目を集め、今では毎年10月、下吉田の15エリアで2日間開催し、2025年はなんと2万8000人を動員! 様々なジャンルの約140店舗が出店するまでの大きなイベントへと成長しました。これに一番驚いたのが、山梨県民です。地元で埋もれていた郡内織物が、令和の今、こんなに盛り上がるなんて……!
ハタオリマチのハタ印https://hatajirushi.jp 江戸から明治にかけて、粋な洒落者に愛された甲斐絹
山梨県でなにが起こっているのか? 日本の伝統工芸、とりわけ織物にはとても詳しく、ご自身も山梨県北杜市にセカンドハウスをお持ちの工芸ライター、田中敦子さんをナビゲーターに、郡内織物の中心地、山梨県の富士吉田市へ向かいました。
田中敦子(たなか・あつこ) 工芸、きもの、日本文化を中心に、取材、執筆、編集を行う。染織史を故・吉岡幸雄氏より学び、「買う、使う、学ぶ」をライフタスクとしている。 近著は、『父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係』(里文出版)、『J-style Kimono 私のきもの練習帖』『J-style Utsuwa 私のうつわ練習帖』(春陽堂書店)。また、企画展プロデュースやアドバイザー、審査委員など、工芸まわりのあれこれにたずさわる。近況としては、作家・尾崎一雄の幻の新聞小説「とんでもない」を発掘、初書籍化のため編集作業を行う。2026年2月に刊行予定。
「染織史や工芸を学んできましたが、郡内織物や甲斐絹はほとんど知らず……。十数年前、地場産業の製品を紹介する東京・青山のお店で甲斐絹の技を継承した傘を見て、山梨に伝統ある絹織物があることを知りました。2年前に、ハタオリマチフェスティバルとは別のもう1つの富士吉田のイベント『フジテキスタイルウィーク』を訪れて、そこでようやく山梨県は織物の一大産地なんだとはっきり認識しました。古い甲斐絹の展示が特に印象に残っています」。
そう語る田中さんと向かったのが富士吉田市にある「富士技術支援センター」。ここは主に、県内の工業技術の向上、研究開発を支援していく役割を担う公的機関です。「100年前の甲斐絹は、ちょっとしたブランドだったのです」と、繊維技術部長の五十嵐哲也さんはいいます。
様々な織機が置かれた研究施設で語り合う五十嵐さん(右)と田中さん(左)。富士技術支援センターには企業や作家、アーティストなどが次々と訪れ、新しい織物の試作を試みています。
甲斐絹の特徴は“撚りのないまっすぐな糸”を“先染め”し、“隙間なくきっちり織り上げ”ていること。きっちり織られているので光沢があり、経糸をピンク、緯糸をブルーにするとまるで玉虫のように反射します。「山梨の職人たちは無地じゃつまらないと、先染めならではの絣技法で縞などの柄を織り込み、さらにそれには飽き足らずほぐし織(銘仙)を取り入れていきます」。五十嵐さんが見せてくださったアーカイブ裂を見て、田中さんはため息をつきます。「これはマニアック……。柄と縞を組み合わせて、手捺染のほぐし織で水彩画のような景色を織り上げていますね」。「そうなんです。効率が悪くて手間がかかることをあえてやっているんです。職人の意地というか、技術の研鑽に励む姿勢には恐れ入るしかありません」と五十嵐さん。
富士技術支援センターに大量にストックされている甲斐絹のアーカイブ裂。
実は山梨と経済の中心地である江戸との間を結ぶ河川は、流れが急な箇所や浅瀬が多くて水運に適しませんでした。つまり陸路で甲斐絹を江戸へと運ばなくてはならなかったため、軽くて単価の高い生地が生産されることに。それが「羽織の裏地」。奢侈禁止令などで贅沢を取り締まられた江戸の人々は、こっそり羽裏でお洒落と粋を競っていました。甲斐絹はその手間暇をかけた技術力とユニークな発想で、日本中に知られることとなったのです。
ではここで、江戸の粋と甲斐絹の技術を垣間見るクイズを出題します。さぁ、皆様はいくつ正解できるでしょうか?