
1936(昭和11)年の創業以来、3代にわたり真珠を見つめてきた「清美堂真珠」が90周年を迎えた今、あらためて真珠の美しさを深く探求する連載。第2回は、その歴史と受け継がれてきた精神についてご紹介します。
・第1回 『古事記』から紐解く 古代より貴ばれた「しらたま」の話→
父から息子へ、そして孫へ。1936年の創業から3代にわたって90年、真珠への情熱を受け継いできた清美堂真珠。さらなる未来へと続いていくその歩みを今あらためて振り返ります。
1936(昭和11)年
磯和圀宏(くにひろ)が創業。志摩、熊本で真珠の養殖を、神戸で真珠の販売を開始。
1952(昭和27)年
養殖部門を弟に譲り、真珠の調達・ジュエリーの製造・販売に特化。社名を「清美堂真珠店」に定める。
1965(昭和40)年
2代目 磯和彦志(ひこし)が社長に就任。海外マーケットに販路を拡大。
1989(平成元)年
社名を「清美堂真珠」に変更。
1996(平成8)年
清美堂真珠東京営業所を設立。
1999(平成11)年
3代目 磯和晃至(こうじ)が社長に就任。
2002(平成14)年
黒蝶真珠のブランド「スーパーピーコック」誕生。

1936(昭和11)年、世界恐慌後の景気回復時に創業した「清美堂真珠」。「祖父の磯和圀宏は三重県・志摩半島の越賀出身。地元で真珠産業に携わった後、三重と熊本県天草の養殖場を手に入れ、清美堂真珠を起こしました」と、3代目の磯和晃至社長。
初代の思いは、その屋号に込められています。
「創業当時、真珠といえばアコヤ真珠でした。その白い色は純潔さや清廉さを象徴しますが、清く美しいという言葉は真珠そのものとともに真珠を取り巻く環境のことも指しています。真珠とお客様に誠実であること。会社、そして働く人も清く美しくあれという教えは、90年間、大切に守り伝えられてきました」
創業間もない頃から神戸にて、真珠の入ったアコヤ貝を観光客が自分で取り出すサービスを提供。1936年に喜劇王チャールズ・チャップリンが3人目の妻とのハネムーンで訪日し神戸に寄港した際、夫人は「ネックレスにできる真珠が集まるまで」と、何度も楽しんだそうです。
第二次世界大戦後は養殖部門を弟に譲り、清美堂真珠は真珠の調達・ジュエリーの製造・販売に注力します。
「常につきっきりで海の環境や真珠の生育状況を見なければ、よい真珠は育たない。養殖場と神戸の店舗を一人で掛け持ちするのは難しい。二つに分けたのは、養殖を知り尽くした祖父の賢明な判断だったと思います」。
2代目の磯和彦志は1933年生まれ。中学生の頃から店や真珠の選別、製造販売を手伝い、大学卒業後、本腰を入れて家業に携わるように。
「戦後は進駐軍と神戸港にやって来る船員、特に好景気に沸いていたブラジルからの方が主な顧客でしたが、父が社長を継いだ頃には進駐軍も帰国して外国人への販売は減少していました。そこで父は一度店を閉じ、アメリカやヨーロッパへの輸出に力を入れます」
昭和30年代の日本は、欧米の需要に背中を押され養殖真珠の生産が爆発的に拡大。しかしその波も収まると、輸出は衰退していきました。
「昭和40年代初頭に真珠業界は大不況に見舞われました。最大手を含む真珠に携わる多くの企業の倒産が相次ぐ中、こうした大不況を経験した父は、“商いを飽きずに続ける”という単純なことがいかに難しいかを身をもって知り、“続けることができる会社は、社会の役に立つ会社である”と考えるようになりました」
以来、清美堂真珠では真珠本来の美しさを世の中に広めることによって文化の発展に尽くし、社会貢献を果たすことを企業理念に掲げています。
「それを成し遂げるために必要な社会・真珠・会社に対して常に感謝の気持ちを忘れず、創意工夫、努力をもって業務にあたることが我々の使命です。父は慎重なビジネスで力を蓄え、私に対しても幼い頃から真珠に関する英才教育を施して真珠を見る目を養ってくれました。ヨーロッパでは3世代続かないと真のジュエラーとは呼ばれないと聞いたことがあります。祖父や父の思いを受け継ぎ、“世界で一番美しい真珠を扱う会社”を目指して、90周年から100年、その先の未来へと向かいたいと思っています」
お問い合わせ/清美堂真珠
電話 03(3408)5799
URL:https://seibidopearl.co.jp/
撮影/栗本 光 スタイリング/阿部美恵 取材・文/清水井朋子