

右)自然史映像作家 昆虫研究家 伊藤弥寿彦さん
いとう やすひこ ミネソタ州セント・クラウド州立大学卒業(動物学専攻)後、東海大学大学院で海洋生物を研究。NHK『生きもの地球紀行』、NHKスペシャル『明治神宮不思議の森』など作品多数。
左)清美堂真珠 代表取締役社長 磯和晃至さん
いそわ こうじ 慶應義塾大学経済学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)を経て清美堂真珠入社。1999年社長就任。タヒチパールプロモーション理事、日本真珠輸出加工協同組合理事、東京真珠加工卸協同組合理事。
「阿加陀麻(あかだま)は 緒さへ光れど
斯良多麻(しらたま)の 君が装ひし
貴くありけり」

伊藤 90周年、おめでとうございます。ここ「清美堂真珠」のサロンにはジュエリーだけでなく、アコヤ真珠、白蝶真珠、黒蝶真珠、マベ真珠、コンクパールなどを育む貴重な貝殻も展示されているのですね。僕は宝貝の貝殻をコレクションしていて貝マニアなので、ワクワクします。
磯和 ありがとうございます。映像のお仕事を主とされ、伊藤博文公をひいお祖父様にもつ伊藤さんが『古事記』に興味をもたれたのはなぜですか?
伊藤 明治神宮と伊勢神宮の番組に携わったのがきっかけです。鎮守の杜について調べるうちに辿り着きました。
磯和 伊藤さんが2025年に上梓された『古事記の博物図鑑』を拝読しました。古事記に登場する動物、植物、それに鉱物までもが網羅されていて圧巻でした。
伊藤 古事記は上中下の3巻からなるのですが、圧倒的に面白いのは神話の世界を描いた上つ巻です。今回は上つ巻に登場する動植物をまとめました。
磯和 本になるまで、どのくらいの時間がかかったのでしょうか?
伊藤 2年くらいで本にできるかなと思っていたのですが、次から次へと新たな疑問が浮かんできてしまい、結局5年以上かかってしまいました。『日本書紀』は漢文で書かれていますが、古事記は日本語に漢字を当てはめて書かれた書物です。長い間忘れられていたものを江戸時代に本居宣長が解読し、今の私たちが読めるようになりました。「麻」「兎」「鼠」など現代と同じ呼称のものがある一方で「アカカガチ」がホオズキ、「ミチ」がアシカのことだったり、呼び名が全く違うものがたくさんあるのも面白いですね。
磯和 1000点近いビジュアルも、ほぼご自身で撮影されたそうですね?頭が下がります。そんな中、真珠も「しらたま」として登場しているのは、3代にわたり会社で真珠を扱ってきた私としても嬉しい気持ちになりました。
伊藤 「しらたま」が登場するのは古事記の神話のクライマックスに近いところです。
磯和 山幸彦こと「ホオリ」が「トヨタマビメ」と結ばれて海の国で過ごす部分は、浦島太郎の竜宮城のようです。
伊藤 海の国で3年を過ごしたホオリが帰った自分の国に、ある日トヨタマビメが訪ねてきて、あなたの子を身ごもっているのでお産をするが、決して産屋を覗いてはいけない、といわれる。
磯和 しかしそれでも覗いてしまうという物語は、世界中にありますね(笑)。
伊藤 (笑)。案の定、ホオリも覗いてしまう。すると、そこにいたのはワニ(サメ)でした。姿を見られてしまったトヨタマビメは海の国に帰ってしまうのですが、ホオリを慕って「赤い玉は紐まで光るけれど、白い真珠のようなあなたのお姿は、さらに貴い」と、歌を贈る。この時生まれた子が後の神武天皇の父親となるのです。
磯和 愛する人を「しらたま=真珠」になぞらえているのですね。明治26(1893)年に真珠の養殖が発明されるまで、長きにわたって真珠は、何千個、何万個もの貝の中から偶然に見つかる、奇跡的な存在でした。ヨーロッパでも、ダイヤモンドよりも貴重なものとして取り引きされたこともあったといわれます。古事記の時代の人々も貝を開いて偶然あらわれる真珠の美しさと神秘性に惹かれて、貴く美しいホオリの姿に重ねたのでしょう。
伊藤 古事記が記された1300年以上も前の時代の人から見て、さらに大昔の神話の時代から、人が真珠に重ねる思いは変わらないのかもしれませんね。ところで磯和さんは、この歌に詠まれた「しらたま」は、アコヤ真珠だと思いますか?
磯和 伊藤さんが本の中でアコヤ真珠と決めつけず、淡水真珠であった可能性にまで言及されているのは、さすがだと思いました。確かに淡水真珠のほうが大きな珠が出やすいですし、古事記が記された当時の大和朝廷の勢力範囲を考えると、イケチョウガイの淡水真珠が採れる琵琶湖や淀川などは身近な水域だったと考えられます。また、現時点で日本最古の真珠は福井県の貝塚から出土した縄文時代のものですが、これはドブガイかイケチョウガイから出たと思われる淡水真珠です。その後、時代が下がって正倉院には4000個以上の真珠が収められていますが、そのほとんどがアコヤ真珠です。

伊藤 興味深いですね。ところで、磯和社長はお祖父様の代から真珠を家業にされている環境で育ったわけですが、どのように真珠と向き合ってこられたのですか?
磯和 幼少時は会社と住まいが隣同士だったので、真珠に囲まれて育ちました。加工の現場では真珠が床に落ちることもありますが、跨いではいけない、真珠を敬いなさい、というのは厳しくいわれましたね。
伊藤 まさに真珠は貴い、というわけですね。
磯和 そもそも真珠の美しさは、気候や水質、地域という、天の理、地の理に左右されるもの。養殖の発明で、そこに人の技術や思いが加わりました。真珠をとりまく自然環境だけでなく、今では真珠の美しさは携わる人によっても変わります。こうして生まれる真珠の中から、さらに私たちが選び抜き、清美堂真珠のジュエリーになるのは、1%未満です。
伊藤 そこにも貴さを感じます。
磯和 神話の中に貴さの象徴として登場する真珠が、時を経て今も愛されているのは、パールジュエリーを扱う者として幸せなことです。真珠が健やかに育つ海や、それを支える大地、そして真珠を丁寧に育む真面目で誠実な方々にまで思いを至らせながら、未来に向けて真珠の美しさを追い求めていきたいと思っています。

お問い合わせ/清美堂真珠
電話 03(3408)5799
URL:https://seibidopearl.co.jp/
撮影/栗本 光(静物) 猪俣晃一朗(人物) 取材・文/清水井朋子