――現実の梨子は、閉ざされた、狭い世界で生きているのに、夢のなかでは吉原の遊女、平安の女房になるなど、経験を重ねることで、人間として変化、成長していきます。
たくさんのひとと会うことや、行動的であることは素晴らしいことです。でも、そういうことが苦手なタイプ――私自身もそうなのですが――の人間でも、本を読むことや、ひとりのひと、梨子であれば、夫の生矢や高丘さんとじっくり付き合うことで、行動的なひとと同じように世界は広がってゆく。自分では気づいていませんでしたが、たしかにそういう喜びを書いていたのかもしれません。
夢がつなぐ現代と平安時代
――梨子が夢と現実を行き来するという、この書き方にはどのように至ったのでしょうか。
小説の書き方はいろいろありますけど、今回の場合、平安時代をそのまま舞台にすると、平安時代に対する批評的な視点や驚き、喜び、違和感、あるいは(現代と)同じだなという感覚などを書きにくいと思ったんです。その時代の人間は、そこで起きていることを当然と思っているので、平安時代に生きる業平とその周辺を眺める現代の視点が必要ではないか、と。
じゃあ今の誰かが平安時代に行ったらどうか。タイムスリップものになるのかなと一瞬、思いましたが、それだとタイムスリップという仕掛けに目が奪われてしまう。もう少し自由というか、あいまい自在な視点を得られないかと考えていたとき、それこそ夢は、古典の世界で非常に大事なものだと気づいて、このやり方を選びました。
――川上さん自身は、夢をよく見るほうですか。
見ていますけど、覚えているのは明け方、起きる直前の夢で、今日の予定を頭で半分考えているような。ズームで打ち合わせをしているとか、大根買おうといった現実的な、それ、全然夢じゃないでしょうという、飛躍のない夢ですね(笑)。
江戸時代のいちばんのロングセラーは『伊勢物語』
――です・ます調で書かれた小説のトーンはゆるやかなのに、読んでいて感じたのは、振れ幅の大きさです。
江戸時代を入れたことが、振れ幅の大きさにつながったのかもしれません。最初は平安時代と現代を行き来するつもりでしたが、国文研の館長で、江戸から近世以前を専門にされているロバート キャンベルさんから、江戸時代のいちばんのロングセラーは『伊勢物語』だったと教えられたんです。ベストセラーは近松(門左衛門)とか、そのときどき、いろいろあったのでしょうが、みんながずっと読み続け、ずっと出版され続けたのは『伊勢物語』だった。
当時、豊かな町人が増えて、その子弟のための絵入りの注釈本、子供向けのもの、かるた、それに『伊勢物語』のパロディもたくさん出ていたそうです。
要因はいろいろあるでしょうけれど、『伊勢物語』は和歌が多く、文章はすごく少ないので、想像の余地があるんです。恋愛だけでなく、業平の仕事、友人関係が書かれた段もあって、そういう意味で、『伊勢物語』には人間の生き方の原型が、神話のように描かれている。それを、江戸時代のひとたちは愛したのかな、と。
あと、平安のひとと、江戸のひと、そして現代の私たちでは、『伊勢物語』に対して抱く感情がそれぞれ違うので、そこでもいくつかのレイヤーが生まれたのかもしれません。
――そういったレイヤーを生み出す、それぞれの時代の制度や社会背景の違いは、違和感なく受け入れられましたか。
社会背景の違いを知るためにいろいろ調べてゆくと、ある社会、政治状況のもとでは、こういう行動を取らざるを得ないということを、理解はできます。けれど、自分がそこで生きていたらどうだろうということも、同時に考えて。受け入れつつも、自分に引き寄せれば葛藤もしつつ、というスタンスで書いていましたね。
小説家は“冷徹”
――現代の観点で見れば違和感を覚えるのに、小説を読んでいるあいだは梨子が言うように、これも定めなのだと、その世界を受け入れていました。
それは嬉しいお言葉です。作家は書いているあいだ、物語のなかの人物を、場所を、歴史を生きているものの、やはり自分は別のところにいる。本を書くというのは、そういうことなのだと思います。
――書いている世界を生きながらも、俯瞰というか、冷徹な目がある。作家の方のなかでは、そのふたつが同時進行しているのですね。
そうそう、小説家はけっこう、冷徹ですよ(笑)。あまり情緒に流されたり、そのなかに入り込んで、わーっと盛り上がっていたら、小説は書けないと思います。
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