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台湾語、日本語、中国語のはざまで。温 又柔さんが考える“ことばとともに生きること”

2020.10.13

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 ――台湾では、きみのおかあさんの魯肉飯がいちばん旨かった。

ロバプンは、茂吉が正確に発音できるほとんど唯一の台湾語だ。中国語がそこそこできる茂吉も、台湾語となるとさっぱりだった。きみが義姉(ねえ)さんたちと台湾語で喋りだすと、ぼくには鳥がさえずっているように聞こえるんだ、と苦笑する。そんな夫よりも、桃嘉のほうが台湾語をすらすら発音する。もっともあの子の場合、ときどき中国語と台湾語の区別もついてないようだけれど。それでも桃嘉が自分の国のことばを話してくれると雪穂は嬉しかった。日本うまれとはいえ、娘の半分は自分とおなじ台湾人なのだと誇らしくもなった。近頃の桃嘉は、日本語しか話さない。たまには中国語や台湾語で反応してもいいのに、と少しさみしくなる。


温 又柔『魯肉飯のさえずり』より


たとえ母娘であっても。
母語を介したすれ違いと和解


――ご両親とも台湾の方ですけど、『真ん中の子どもたち』同様、本作も父が日本人、母が台湾人という設定ですね。

今回は母と娘の関係に集中して書きたかったんです。父親を日本人にすれば、とりあえず父のほうとはことばや文化による齟齬が生じないので。母親の日本語を恥ずかしいと思っていた娘が、母親とのあいだにあったすれ違いとどう向き合い、どう和解してゆくか。『魯肉飯のさえずり』では、母が台湾人である光景をきっちり書きたいと思っていました。そして日本育ちの台湾人として、現代の日本社会で覚えた違和感を、雪穂と桃嘉という母娘の関係を通じて描いています。

――違和感は、小さい頃から感じていたのでしょうか。

私の家での普通が、外ではそうではないと気づかされることは何度となくありましたし、学校に行くようになると、母親のしゃべることばはノイズや雑音のようなものだと、いつの間にかそう思わされている自分がいました。普通や当たり前って誰が決めたの? そう思いつつも、そこそこ周囲に馴染めている自分もいましたし。でも、成長するにつれてそういうものが呑み込めなくなってきたとき、小説を読んだり、書いたりすることで、自分が自分のままでいられる場所を探すようになりました。


感じ続けた違和感。
日記のなかでは安心できた


――13歳のときから日記が手放せなかったと、エッセイでも書かれています。

ノートのなかにこそ、自分が安心していられる場所があるという感じでしたね。昔からずっと書くことが好きだったからこそ、母語とは何か、日本語とは何かと考えるようになった頃から、日本人ではない自分が日本語で小説を書くなら、国語らしくない日本語で書いたほうが楽しそうだなと思うようになりました。

国語らしくない日本語とは何かといえば、私自身の母や、小説のなかの雪穂や伯母たちが話すような、国語として区切るのなら日本語と呼んだり中国語と呼ばなければならない複数の言語がおおらかに“混ざっている”ことばだったんです。そういうことばが私を自由にしてくれます。

――作品のなかで、中国・台湾語がカタカナ表記も含めて併記されたり、ピンインのルビを振るのも、温さんにとって自然なことなんですね。

こうしなければ書けないというよりも、こういう書き方をしたらどうだろうという好奇心のほうが大きくて。実際、やってみたらしっくりきたので、この書き方で台湾のことを書きたいと思ったという感じですね。

――クレオール言語は傍から見るとユニークで、リアルなことばですが、小学生の桃嘉には、母のカタコトの日本語が恥ずかしかった。でも、その気持ちが周囲に羨ましがられることで変わってゆきます。

物事は、観点が変われば、見え方も変わります。同じことがよいものにもなれば、隠したいものにもなる。ある時期までの私は、雪穂によく似た自分の母の話すめちゃくちゃなことばや、そういう母親を持つ自分を、あまり誇りに思えなかった。

今はちがいます。今は、むしろ、そういう環境で育ったことをとても幸運に思っている。私が自分の立場をよいと思えるようになったのも、周囲に私を楽しそう、羨ましいといってくれるひとたちがいたからです。詩人の管 啓次郎さんが、“人生の痕跡とは訛りである”といっていますが、そのことばにどれだけ励まされたか。

現実世界の日本語は国語的、テレビ的なものが主流だったけれど、音がないはずの本を開くと、クレオールな世界を肯定しているひとがこの世界にはたくさんいる。ふしぎですよね。文字だらけの本のなかに音が溢れていたのです。それなら私も、中国語や台湾語が飛び交う環境で育ったことを資源に、東アジア・バージョンのクレオール文学を書かなくちゃな、と。そうしないともったいないなって思いました。

後編はこちら>>

温 又柔(おん ゆうじゅう)


おんゆうじゅう●1980年台湾生まれ。3歳のときに両親とともに東京に移り住む。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。2011年に同作を収録した『来福の家』を刊行。『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書に『真ん中の子どもたち』『空港時光』『「国語」から旅立って』など。2020年10月末には明石書店より木村友祐さんとの往復書簡集『私とあなたのあいだ――いま、この国で生きるということ』が刊行予定。公式Twitter @WenYuju

【温 又柔さんの最新刊】

台湾と日本の間でそれぞれに痛みを抱える母娘を描いた長編小説。『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社刊)
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