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芥川賞作家 高山羽根子さんが受賞作『首里の馬』で紡ぎ出したもの

2020.08.04

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小説を書くということ~作家が語る、書くこと、読むこと SNSやブログを通じて、誰もが書くことができるこの時代、小説を書くとはどういうことなのか。小説家はどんなことを考えながら、小説を書き、読んでいるのか。作家の方々に、それぞれの小説作法を尋ねます。

第5回 高山羽根子さん
〔後編〕


・〔前編〕高山羽根子さんが小説にすくい上げる“ノイズ”とは?

“それがいつか必要になることが絶対にないとはいい切れない”。“何かの拍子に希望に変わり得ることもないことはない”……。高山さんのことばには、否定の否定といういい回しが少なくない。否定を否定することによる肯定には、ストレートな肯定よりも、作家の思考のプロセスが感じられる。


行き先はわからないけれど、景色もいいし、同乗者もユニークだし、船頭に任せてこのままボートに乗り続ければ、おもしろいものに出合えるだろうと、そんなふうに読み手が小説の世界に巻き込まれてしまうのは、文章そのものの魅力、その連なりあるいは反転によって、話の輪郭が思わぬかたちで立ち現れてくるからだろう。小説に何とはなしに漂うディアスポラな空気に、今という時代が反映されているのも、高山さんの作品の特徴だ。




書いているうちに、気づくと
”おかしなところ”に辿り着く


――高山さんはどの作品でも、細部を綿密に書き込んでいきますよね。

私が書くのはどこか突飛な話なので、細部の描写は必要だろう、と。たとえば空を飛ぶ話を書くとき、飛ぶまでの、あるいは飛んでいるときに見える景色や状況をしっかり書かないと伝わらないので、ちょっとおかしな話の場合、細部の描写は必要だと思っています。

――デビュー作がSF系だったこととも関連するのでしょうか。

応募したのは、それが第1回の公募という賞だったんです。同じ小説教室に通っていた人に、“高山さんの話は変だから、こういうのに応募したらどう?”といわれて(笑)。出版社は広義のSFを募集していたのですが、今思えば、勧めてくれた方の慧眼に感謝ですよね。もともと奇妙な話が好きで、SFとして、というよりも、書いているうちにおかしなところ、奇譚に行ってしまうところがあるんです。

――『蝦蟇雨』も、そういう作品でしたね。

そうですね。ワンシチュエーションで、ちょっとおかしなことが起こるという話を成立させるために、細部を描写する。細部を書き込んでいくうちに気づいたら、違うところに辿り着いていたというような……。あと小説を書くとき、私は主人公自身ではなく、周囲を書くことによって、主人公のアウトラインをつくろうという気持ちがあります。

――『首里の馬』に限らず、小説の主人公たちはよくものを見ていると感じるのですが、それはご自身が美術を専攻していたことの影響なのでしょうか。

そういっていただくことはあるんですけど、自分を他の方と比較することはできないので、何ともいえないですね。ただ、歩くのも遅いし、景色を見る頻度は高いかもしれません。看板や建物のつくり、地面のかたちとか……赤瀬川原平さんや今 和次郎さんじゃないですけど、アカデミックなセオリーから外れた余計なものとされがちなもの、その情報を見ているのかなと思います。


資料館の取り壊しに間にあった。そのことが未名子を安心させ、自信に満ち溢れさせた。

あの建物に詰まっていた資料が正確なのかどうかなんて、未名子だけでなく世の中にいるだれにもわからない。ただ、あの建物にいた未名子は、それぞれ瞬間の事実に誠実だった。真実はその瞬間から過去のものになる。ただそれであっても、ある時点でだけ真実とされている事柄が、情報として必要になる日が来ないとだれがいい切れるんだろう。そんなものが詰まった資料館だった。

高山羽根子『首里の馬』より


荒唐無稽に見えるかもしれないけれど。
物語の中に秘めた“書くことの必然”


――作品を読んでいると、高山さんは世の中の前提条件を鵜呑みにせず、目の前で起きていることをよく見て、現実を認識しているように感じます。

最近はインターネットで何でも検索できますけど、予め情報を持たない人が見たら、相当おかしく感じるだろうなあとか。そんなふうにものを見ているところはありますね。特に初めて行った場所では、脳が勝手にこう認識しているけれど、実はそうじゃないかもしれないと思いながら建物や看板を眺めると、違う景色が見えてきます。

自分でも、私が書いているのはけったいな話だとは思うんです。今回も、宇宙にいる人と通信しているとか、馬が庭にいるとか、その馬を盗み返すとか。そんなことをいっても、はぁ? 何それ? と感じる人もいるでしょう。だからそれを書くリアリティのようなものはギリギリまで考えます。説明しようとしてもおかしなことだけれど、でも、それを地に足の着いた書き方をすればどうなるか。一見、荒唐無稽かもしれないけれど、自分のなかにはそれを書くことの切実さと必然はあるので、そのことが伝われば嬉しいですね。

――先ほど小説教室の話が出ましたが、小説を書き始めたのはその頃からですか。

そうですね。私はいわゆるロスジェネで、大学卒業後、30代にかけては突っ走るように仕事をしていました。30を過ぎて転職して、少し時間ができて、本を読んだりお芝居を見たり、自分の生活を変えていくなかで、小説教室に通ってみようと思ったんです。課題として提出するために初めて書いた7枚ほどの小説を、思いのほかおもしろいといってもらえたことが書き続ける力になって、今もその延長上にいる感じです。ずっと絵を描いていましたけど、美術はいろいろ準備が必要なのに対して、文章は紙とペン、タブレットがあればいくらでも風呂敷を広げることができます。あと絵の場合、描き上げると公募に出したり、個展やグループ展に出すという文化があるんです。その風土に慣れていた私は、小説も書き終えたら、どこかに送って読んでもらおうと普通に考えて。そういう意味で、応募することへの精神的なハードルが低かったのかなと思います。

――書き始めてから今に至るまで、何か変化はありますか。

スタートが遅かったので、自分のなかではずっとずっと、上手くなりたいと思いながら書いています。絵も、何十枚と描くことで少し上手くなるものなので、きっと書けば書くほど上手くなると思って、少しずつ積み重ねている感じです。


“愛読書はサリンジャー”。
そんな大人にはなるまいと思っていたのに……


――話は飛びますが、これまでどんな本を読んできたのでしょうか。

子どもの頃、家の近所では、本屋さんが御用聞きのようにカブで配本してくれるサービスがあって、親が与えてくれた子ども用の文学全集を読んでいました。ただ、すごくたくさん本を読んできたわけではなくて、自分で好きだと思う作家の本を読むようになったのは、大学入学以降ですね。昔、両親の本棚にサリンジャーとかがあって、なんか気取っているな、こういう大人にはならないぞなんて思っていたんですけど、大学入学前後にポール・オースターがすごく好きになって。冷静に考えたら、ひと回りして同じことをやっているな、と(笑)。

――オースターは、ニューヨーク三部作の頃ですね。

『幽霊たち』を読んで、なんじゃこりゃ!と思って。まだアメリカ以外の外国文学がそれほど翻訳されている時代ではなくて、リチャード・ブローディガンやスティーヴン・ミルハウザーなどを読んでいました。大事な小説は折々ありますけど、そのひとつとして挙げるなら、ミルハウザーの『ナイフ投げ師』ですね。あとイタロ・カルヴィーノや南米の作家の作品を読むと、日本の小説ではあり得ないことが起きるので、やはりそういう作品は好きです。

――日本の作家ではどうですか。

藤枝静男の『田紳有楽』を初めて読んだとき、びっくりしたことは今でも覚えています。その後、何回読んでも、やはり、なんてことだと思う気持ちは変わりません。お茶碗と金魚が恋愛するとか、庭にある池のことだけで話が完結しているとか。文章ってこういうことをしても大丈夫なんだと、すべてが自由な感じがして、南米作家の短編小説を読んでいるときと同じような感触を覚えます。あとは牧野信一の『地球儀』とか。私小説といわれるけれど、幻想的な小説です。
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