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江戸時代から歴史が続く「堀切菖蒲園」は、庶民に愛される花菖蒲園の元祖【東京・葛飾区】

2020.05.18

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花菖蒲園はおめかしして出かける「花名所」
江戸に花開いたショーガーデン


歌川国孝《名所堀きり景》

歌川国孝《名所堀きり景》安政4(1857)年 江戸末期の新名所として隆盛を誇った、堀切の花菖蒲園の面影を伝える華やかな浮世絵。きものの細かな柄の美しさや、花見に興じる背後の庶民の姿にもご注目。歌川国孝は歌川国貞の門人。


菖翁と並んで花菖蒲の発展に大きく貢献したのが、江戸末期から明治にかけて現在の東京都葛飾区堀切界隈に続々誕生した「花菖蒲園」です。

菖翁や肥後の武士が育てる花菖蒲は鉢植えが基本でしたが、花菖蒲園は地植えの群生を見せる、いわば江戸のショーガーデン。

堀切の花菖蒲園

明治大正期の堀切の花菖蒲園がこぞって発行した花菖蒲の番付。上は武蔵園が発行したもので、中央の行司名に「宇宙」の名が見える。

現存するのは堀切菖蒲園だけですが、往時には5園が並び立ち、欧米に苗を輸出していた時代もあります。

低地帯である堀切の辺りは、江戸時代には米や野菜、花卉の栽培地でした。

最古の花菖蒲園としてその名が知られているのは、小高伊左衛門が始めた「小高園」ですが、当初は他の切り花と同様に、販売用の花菖蒲を栽培していたにすぎません。

ところが、縁あって小高家を訪れた松平壱岐守(いきのかみ)が咲き誇る花菖蒲群に感嘆し、後日、他の大名を連れて再訪。

武家が認めたことがきっかけで一気に名声が高まり、新しもの好きの庶民も大勢訪れたため、次第に見物客に食事や酒をふるまう「花菖蒲園」へと発展、江戸最後の新名所となったのです。

堀切園

白黒写真に着色した「手彩色絵葉書」の明治末期頃の堀切園。おめかしして出かける人々の様子がうかがえる。

美しい風景は浮世絵の格好の題材として、近代に至るまで多くの絵師によって盛んに描かれました。

堀切と花菖蒲の歴史に詳しい葛飾区郷土と天文の博物館学芸員の橋本直子さんは「毎年6月になると、なぜ住宅や高速道路に囲まれた小さな園がトップニュースで紹介されるのかと思うかたもいらっしゃるでしょうが、堀切菖蒲園には日本で最初の観光花菖蒲園だという誇りがあります」と語ります。

菖翁は著書の中で、旧友の万年録三郎という旗本が、自身作出の花ばかりか菖翁が譲った株までを人(小高園)に売ってしまったと嘆いていますが、それこそが継承の端緒。

庶民にバトンをつないだ功績を考えると、録三郎こそ菖翁花を今に伝える陰の立役者かもしれません。

小高園は明治維新後に松平家の屋敷が取り壊された際にも株を譲り受けたようです。こうして堀切の花菖蒲園は最高ブランドの花を守り継ぎ、ますます発展していきました。

《(東京名所)三十六花撰 二十 東京堀切花菖蒲》

喜斎立祥(きさいりっしょう)《(東京名所)三十六花撰 二十 東京堀切花菖蒲》慶応2(1866)年 喜斎立祥は2代歌川広重が初代の長女と離縁した後に名乗った名前。

ここでは、そうした堀切の花菖蒲園の最盛時からある古い品種を中心に、群生向きの江戸花菖蒲の一部を紹介しました。(下のフォトギャラリーからご覧ください)

個性豊かな花々にはいずれも江戸の粋が感じられます。
撮影=大泉省吾 構成・文=大山直美 編集協力=日本花菖蒲協会 写真提供=日本花菖蒲協会・戸塚由美子 図版提供=葛飾区郷土と天文の博物館

『家庭画報』2020年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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