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芥川賞作家 田中慎弥さんが語る最新作『地に這うものの記録』

2020.04.21

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「言葉が足りず、失礼しました。」
「なんだって?」
「え、あ、その、申し訳ありません、私、まだ日が浅いものでして……」
「日が浅いか深いかは人間じゃなくて文字通りおてんと様が決めるんじゃないのか? いいか、別に怒っているわけじゃない。足りないっていうんなら、どの言葉がどう足りなかった? 人間がよく使うこの、言葉が足りなくてっていう言い方は、何がどう足りないか分かってないやつの逃げ口上じゃないのか。これだけじゃない、他の言い方、例えば、言葉が過ぎましたっていうのは、いったい言葉がどこをどう通り過ぎていったんだ? 売り言葉に買い言葉はいくらする? 言葉の綾ってのはどんな模様を言うんだ? 言葉尻って尻からはどんな糞が出る? 舌足らずって、なるほどもっと長い舌が必要ってわけか、じゃあなんでどでかい舌のキリンや牛は一言も喋れない? (中略) どうだ新人君、口から先に生れたネズミをお世話する気分は。」


田中慎弥『地に這うものの記録』より


人間は、言葉でしか考えることができない


――この小説では、言葉という言葉がものすごく使われています。

喋るネズミのいちばんすごいところは喋ることです。せっかく喋るネズミを主人公にしたのだから、そこを利用しながら、じゃあ人間は言葉をどのように使っているのかということも込めたつもりです。

ネズミは小さいし、寿命も短い、喋れるときに喋っておこうと饒舌に喋っています。ネズミの時間感覚と人間の時間感覚は当然違うので、言葉と時間について書くことは意図的にやりました。

――言葉への徹底した言及からは、田中さんが、自身の最大の持ち物=言葉から決して逃れられないことが伝わってきます。

まあ言葉でしかものを考えられないわけで。よく自分の言葉で喋れと言うけれど、そもそも言語は自分が発明したものではありません。

言葉はひとつのシステムで、そのシステムを使って我々はコミュニケーションを取っているわけで、果たして自分の言葉なんてあるのかどうか。システムのなかで、どうやって自分なりに言葉を使うのか――使われている側面もありますけど――何の制約も受けず、主体性だけで野放しに喋ることが本当にできるのか。

堂々巡りになりますけど、言葉のシステムに絡めとられながら、何とか自由に、あまり聞いたことのない言葉で、しかもわかりやすく、我々作家は伝えないといけないのだと思います。

――ポールのへ理屈や自問自答はどんどん過激さを増してゆきます。

ああいうのはいくらでも出てきますから。突飛な小説の場合、それはそれでいいけれど、あまりに膨らませ過ぎたかな、ちょっと強引だったかなとは思いますけど。

――ポールが最初に接近した市議会議員の浦田さんも、かなり癖のある人でした。

浦田という人物もやっかいな人で、激しく言うときは言うけれど、彼女は政治家なので、言葉をどう使うか、より制約がある。政治は言葉で成り立っているとも言われるので、もう少し彼女に喋らせてもよかったかもしれません。

私小説風に書いた『ひよこ太陽』


――読んでいて漠然と感じたのは、政治とメディアの衰退です。

メディアが衰退しているのかどうかはわかりません。ツールやデバイスが増えて、ありとあらゆる情報が双方向で行き交っているので、メディアが相対的に小さくなっているのかもしれませんけれど。でも、私はまだメディアは大きなものではないかと、怖さも含めてそう思います。ネズミから見たら、特にそうではないかと。

――『地に這うものの記録』は『ひよこ太陽』と同時期に書いていますが、何か相互に影響はありましたか。

『ひよこ太陽』は作家を主人公に作家の大変さを、『地に這うものの記録』はネズミを主人公に突拍子もないことを書いていました。『地に這うものの記録』は余りにも非日常なので、『ひよこ太陽』は少し日常に引き寄せて書くことで、バランスを取ったところはあるかもしれませんね。

多少、自分の日常は織り込んでいますけど、実際、ああいう体験をしたわけではなくて。私小説という枠を設けて私小説風に書いた、自分から小説に寄って行って、日常的なことを書きましたよというかたちを取ったフィクションです。

――書かれたことがすべて本当と思わなくても、田中さんを重ねて読んでいましたが、特に作家が女性や母親に言い負かされる辺りがおもしろかったです。

私はフェミニストではないし、自分さえおもしろいければいいと思っているし、ジェンダーを意識して書いているわけでもないですけど、女性は決してか弱いものじゃないという意識がつねにあります。だからフェミニズムはよくわかりません。

社会的には女性の立場は……と言われれば、男性より不利であることはわかるけれど、うちは父が早くに亡くなり、母とふたりだったので、感覚的に言えば、目の前に女が君臨していて、女は男の言うことなんて聞かないのが当たり前だったので。

母親には、今もうかつにものを言えない


――母上にはいろいろ言われていましたか。

母はかなり苦労してきたと思います。自分自身も生きていかないといけないし、私も言うことを聞くような子ではなかったので、言っても仕方ないと、半ば諦めていたんじゃないでしょうか。

私は母が怖かったし、今もうかつにものを言えないし、喋るときは“今、この人と喋っている”と意識しながら喋ります。母は古い考えの人で、言いたいことをポンポン言いますが、どうも私が作家になったことをものすごく肯定しているわけではなさそうで。

対立とまでは言いませんが、相手は母親だし女だし、子どもの頃から価値観が違ったし、自分にはこの人のような生き方はできないし、する必要もないとずっと思っていて、事実そうなっています。

――高校卒業後、デビューまでの14年間、仕事をせずに本を読み、書いていた田中さんのことを受け入れていたのではないでしょうか。

受け入れたかどうかわかりません。(自分の息子が)こんなふうになるはずではなかった、という感じじゃないでしょうか。

母は10代で社会に出て、きちんと自分の人生をつくってきた人です。そういう人から見ると、受験に失敗して引きこもりみたいになって、小説を読んだり書いたりして、挙句に作家になるということは、母の価値観にはまったくない生き方ですから。

後編へ続く(4月28日公開予定)


田中慎弥(たなか しんや)

たなかしんや●1972年山口県生まれ。2005年『冷たい水の羊』で新潮新人賞受賞。2008年『蛹』で川端康成文学賞、『切れた鎖』で三島由紀夫賞、2012年『共喰い』で芥川賞、2019年『ひよこ太陽』で泉鏡花文学賞を受賞。近作に『宰相A』『美しい国への旅』、エッセイに『孤独論:逃げよ、生きよ』など。

【田中慎弥さんの最新刊】


喋るネズミと人間の和解をめぐるやりとりを、さまざまなエピソードを交えながら描く寓話的小説『地に這うものの記録」(文藝春秋刊)
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/大河内 禎(人物) 中島里小梨(静物)
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