第1回 白石一文さん
〔後編〕
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〔前編〕初めて小説を書いたときの感興は「世の中にこんな楽しいことがあったんだ!」>>
「背景に哲学があるので、古典経済学は本当におもしろいんです」と話すように、そもそも古典経済から近代経済まで勉強するつもりで政治経済学部に入学し、アダム・スミスから始まりトマス・ホッブズやデヴィッド・リカードなどを読み漁っていた白石一文さん。だが、小説を書くことのおもしろさに目覚めると、経済学も一気に吹き飛んだという。
出版社に就職後も小説を書き続け、2000年に長編小説『一瞬の光』でデビューした白石さんは、ご自身でも長編体質だと自認しているように、1000枚を超える大長編も珍しくない。取材でお会いしていると、話上手でおもしろく、話術も巧みなので、どうして対談やエッセイの仕事をされないのかと、不思議に思うけれど、白石さんにとって書くこととは、小説を書くことにほかならないのだろう。
執筆のきっかけはSさんの死
――『君がいないと小説は書けない』の連載中に、文春の方から何か反応はなかったのですか。
なかったですね。連載中は誰も読んでなくて、単行本になるとき、文春のことが書かれているみたいだと話題になったんでしょう。なぜその人たちのことを書いたかと聞かれても、理由はないんです。パソコンに向かったときに、ぱっと思いついた人を書いていたので。
――ぱっと思いついた人、ですか。
そう、それはすごくおもしろかったですね。この小説を書こうと思ったのは、冒頭で書いた元社長のSさんを送る会に出席したことがきっかけなんです。僕は、そういう会に出ることは滅多にないのですが、Sさんの死が思いのほか悲しくて。20年もいた会社ですし、自分の半生を振り返れば、やはり文春時代に出会った人たちの話が主になります。
今回、書きながらわかったのは、最近の人より昔の人の方がずっと鮮明に憶えているということです。出来事がホットなまま瞬間冷凍されているので、解凍すると情報がたくさん出てくる。僕の頭のなかのキャビネットには出会った人それぞれの履歴書のようなものがストックしてあって、中身はその人と会って話すたびに更新されるんですけど、そういった(頭のなかの)膨大な履歴書の束のなかからランダムに一枚ずつ選んで書き進めたという感じです。一枚一枚の履歴書には、見たこと聞いたことがそのまま書かれているので、それを読めば全部思い出せる仕掛けになっているんです。
ずっと“自分は42歳で死ぬ”と信じていた
――『君がいないと小説は書けない』は「去年も知り合いが二人死んだ」という文章から始まりますが、白石さんの小説は、死が大きなテーマでもあります。
それは昔から大命題なんです。
小説にも書いているけど、若い頃は、自分が42歳で死ぬと確信していました。というのも、昔、42歳で死亡宣告される夢を見て、その夢が余りにもリアルで、頭にこびりついてしまっていたんです。もともと思い込みが強い方ですから、絶対死ぬと信じていましたね。
それもあって、20代で作家になれなかったときは絶望的な気分でした。42歳で死ぬとなると、もう時間がほとんどないわけですから。そんなこんなで追い詰められた気分で編集者をやっていたら、39歳のときにパニック障害になって死ぬ目に遭ったんです。パニック発作というのはいきなり心臓がおかしくなって呼吸ができなくなる発作で、〝このまま死ぬんじゃないか〟という恐怖心で尚更に悪化していく。そうした発作を経験するようになって以降は、当然、いちばんの関心事は自分が死ぬという事実、ということになりますよね。
――じゃあ43歳になったときは……。
唖然、呆然ですよね。42歳以降の計画はまったくないわけですから。ただそのときは前の妻と別れて、今の妻と一緒になっていたので、僕らしくないけれど、ちょっと夢と希望を持っていたというか(笑)。妻の助けもあって作家デビューすることができて、書いたものをつねに発表できるようになっていたので、何となく前向きな感じだったと思います。
ほんとうにやりたいことなのか?という思いは常にある
――ご自身のなかで、作家になることは人生の前提条件だったのではないでしょうか。
そんなこと、全然ないですよ。会社にいるときは、毎日のように“自分は多分小説家にはなれないだろう”と思っていました。
たとえば『文藝春秋』や『週刊文春』の編集部にいると、スクープを出せば世の中が大騒ぎするのですごく盛り上がるし、楽しいわけです。だから今の編集部の人たちの気持ちも手に取るようにわかります。
でも、楽しいと同時に、このままでは小説家になれないと常に頭の隅で悩んでいる。自分ではギアが切り替えられず、そのストレスでしばしば小さなパニック発作は起きていましたね。当時はそれが大発作にまでつながるという認識はまるでなかったですが。ときどき急に息もできず、苦しくてうずくまってしまうことがあって、大学病院に検査に行って、安定剤とか血管拡張剤を貰ってしばらく飲んだりしていました。
編集者時代は、これは自分がほんとうにやりたいことじゃないという気持ちが抜き難くありましたね。でも、作家になってからもしばらくは、これが自分のやりたいことだったのかと疑問を持っていました。

――せっかく思いが叶ったのになぜでしょう。
人間、隣の芝生は青く見えるんですよ(笑)。
一度くらい、『文藝春秋』の編集長になりたかったとか、欲が深いですよね。もちろんきついこともありますけど、編集の仕事は麻薬的に楽しいし、仕事も本、趣味も本という世界ですから、本の好きな人にとっては正真正銘のパラダイスです。
小説はすごい、小説いう概念はすごい!
――今回の小説は父上(作家 白石一郎氏)や仕事の話だけでなく、奥さんや引っ越しなどの話も出てきます。
これまで私生活は書いていませんでしたけど、引っ越しの話は本当です。
さすがに20年で23回というのは異常かな、と。半年も経たずに引っ越したときなどは自分でも、えっ、と思いましたけど、書いた通り、新居に移ると、もう翌日から次の引っ越し先をネットで探しているんです。間取り図を見るのが趣味で、どこに住むかを考えるのはすごく楽しくて。引っ越しは大変だけど、その手間はすべて妻がやってくれるので、僕は移るだけです。
親しい編集者には、これだけ引っ越しするのはきっと何か意味があるはずだから、そのことを新書で書きませんか、と勧められたりするんですけど、そこまでの意味はないと思うので、今回の作品で披露することにしました。
――デビュー当時と今とで、考え方や小説の書き方が変わったと思うことはありますか。
全然違いますね。作家になった当初よりも、今はいろいろな知識の結びつき方が有機的になっています。以前は何かひとつのことを知ると、それを中心に関連することを考えて小説化するといった感じで、自分の意識の内部でブロック化が行われていました。
でも、最近はいろいろなことが、いろいろな場所で同時に起きて、全体としてつながっているのでブロック化されず、自分が意識的に考えて書く度合いがどんどん下がってきています。
――以前から、作家は受信機だからとおっしゃっていましたが……。
それがますます進んでいますね。自分はいろいろなものを観察していて、モヤモヤしたものがあって、それが有機的につながっていることはわかるんです。僕が主体というよりは、ガチャポンみたいなものがあって、それをひねって出てきたプラスチックボールのなかの小さな紙片に書かれていることを引き写しているという感じです。
たとえばAを書いてBを書く。それは水と油のようで、でも文字にしてしまったし、どうすればいいだろうと胸を痛めていると、ある日、Cが出てきて、AとBがすーっとCに寄っていって話が収束していく。へーこんなふうになるんだと、自分でも驚いているという……。最近の書きぶりはまさにそんな感じです。

――『プラスチックの祈り』で、がんがプラスチック化するという話も、そうやって何かと何かが寄っていったのでしょうか。
あれも恐ろしい話ですよね(笑)。身体の一部がプラスチック化すると書いた段階で、内心、どうしようと悩んでいる。いつも古いメモを見て小説を書き出すんですけど、プラスチック化の話は10年以上前にメモしたもので、それを見直して、書けるなと思ったから書き出したんです。他の作品も大体そんな感じなんですが。
そして、こんなこと書いたら幻覚にしかならないかな、でも、なんとかなるだろうとか思いながら書き進めていく。そうした作業の繰り返しで、読者はどう思っているかわからないけれど、でも僕的にはなんとか物語はつながり、最後にはきれいに収束していくわけです。その度に、小説はすごい、小説という概念はすごいと感心してしまう。僕の日常なんて要するに年中机の前に座っているだけなんですけれど、それでも毎日が発見に満ちていますね(笑)。
二十代半ばで筆一本の生活に入った父の人生は、私よりもさらに動きのない人生だった。
彼こそはただひたすら「起きて、食べて、書いて、寝る」日々を繰り返し続けた人だった。そういう父を息子として観察しながら、
――この人は一体何が楽しくて生きているのだろう?
と感じていたものだ。
私が小説を書くようになった動機の一つは、父という人のことをもっと理解したいと思ったからだった。
来る日も来る日も家にいて、原稿を書くか本を読むかしかしないこの人は一体何が楽しくて生きているのだろう、と長年不思議で仕方がなかったのだ。
こんな穴熊暮らしのどこがいいのだろう?
大学一年の終わりに小説を書き始めてみてその理由はすぐに判然とした。
父は小説を書くことが本当に好きだったのだ。
白石一文『君がいないと小説は書けない』より
小説とは、摩訶不思議なもの
――起きて、食べて、書いて、寝る、穴熊生活には、はたから想像しかねるすごい驚きや発見がある、と。
作家の人たちは、きっとみんなそういうものがあるはずです。
たとえば宮本 輝さんは作品のなかで無数の伏線を張る人ですけれど、でも、いくら宮本さんだって最初からすべての伏線を回収する方法を考えたうえで書き出しているわけではないと思います。ただ、彼には、この無数の伏線を最後には全部回収してみせるという圧倒的な自信と信念があるのでしょう。そして実際に見事なやりかたで毎回、回収していく。でも、それは決して自分で意図してできることではなく、やはり宮本さんは小説の神様に愛されている作家なんだと思います。
小説って最後の最後は、「ルルリララ」って魔法の粉をかけるみたいな世界で、何か違う見えないエネルギー源にぐいと差し込めるストローの1本でも持っていないと成し遂げることができない、そういう摩訶不思議なものなんです。