カルチャー&ホビー

銀座ゆかりのかたがたに聞く「私の銀座愛」

2019.11.20

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銀座の“粋”と“情熱”の物語(最終回) この街を愛し、支えている銀座人たち。1丁目から8丁目までの町ごとの会、並木通りや中央通りなど、通りごとの会など、組織の数は、なんと30以上。銀座の“横のつながり”の強さには驚くばかり。代々にわたって老舗を守ってきた人たちも、銀座で新たに店舗をスタートさせた人たちも、より心地よく美しい銀座になるように協力し合って街づくりに心を砕いています。そんな銀座で見つけた、とっておきの人、モノ、コトをご紹介します。前回の記事はこちら>>

銀座ゆかりのかたがたに聞く私の「銀座愛」


あなたにとって銀座はどんな街ですか?この街の魅力は何ですか?家庭画報でもおなじみの、銀座を愛するかたがたに伺いました。

思いが込められたその言葉から、世界に自慢したい銀座の姿が見えてきます。

銀座

「昔も今も、“新しいモノ・コト”を発信し続けているのが銀座なんです」——服部真二さん


銀座4丁目に本拠を構え、ここから125年間、街を見守ってきたセイコー。セイコーホールディングス代表取締役会長兼グループCEOの服部真二さんに、銀座の過去・現在・未来についてお話を伺いました。

服部真二さん

服部真二さん(セイコーホールディングス代表取締役会長兼グループCEO)
1953年生まれ。三菱商事勤務を経て、1984年、精工舎に入社。グループ各社の社長を歴任後、2012年セイコーホールディングス代表取締役会長兼グループCEOに就任。セイコーウオッチ代表取締役会長兼CEO、和光名誉会長。

銀座の街に100年以上時を告げてきた時計塔


時計塔

1881年創業の服部時計店の初代時計塔。創業者の服部金太郎は1894年に新聞社の社屋を買収し、銀座4丁目に移転。元は3階建てだった社屋を増改築して時計塔を設置。当時は破格の高層建築で、30分ごとに時報を打つ鐘が銀座の人々に親しまれた。関東大震災後の1932年、現在の建物が完成。戦後GHQによる接収を経て、1952年、和光として本格的に営業を開始。服部さんによれば、2008年の耐震改修の際にも歴史的建造物の雰囲気を残す努力が重ねられたという。インタビューが行われた部屋(上の服部さん写真)もマントルピースや壁紙など、内装の随所に伝統ある竣工当時の趣が感じられる。

銀座のシンボルといえば、和光本館の時計塔。

元々建物は和光の親会社である服部時計店(現・セイコーホールディングス)の本社ビルとして建てられたもので、現在の時計塔は2代目。

紆余曲折があったものの、初代から数えると延べ125年もの間、銀座の街に時を告げてきたことになります。

創業者の曽孫にあたる同社代表取締役会長兼グループCEOの服部真二さんは、時計塔について次のように語ります。

「現在の時計塔ができた頃はまだ懐中時計が主流で、腕時計が広く普及するのはもっと後です。それゆえ、街の人々に時を伝える一私企業の時計の鐘が社会資本になり得たわけです。これは銀座でだから可能だったことともいえます。毎正時、鐘を鳴らしていたら、住宅街が近い渋谷などではクレームが出かねませんから」

時計塔

新店舗「セイコードリームスクエア」1階の、時計塔の内部をイメージしたミュージアム。時計の文字盤を裏側から見たような丸形モニターに、銀座4丁目交差点を見下ろした動画を早回しで映写。文字盤越しの眺望が疑似体験できる。

時計の製造を始める前、店では横浜の外国商館から仕入れた懐中時計や置時計を販売していたそうで、「銀座には昔からファッションや雑貨など、新しいものを時代の変化に合わせてどんどん発信していく文化があるんです」と服部さん。

最近では、新形態の店舗を銀座に次々にオープンする一方、銀座のシンボルである柳や、伝統工芸の七宝などを用いたユニークな腕時計も発売していますが、

「そうした他社とのコラボレーションによる製品も、新しいものを創出したいという姿勢の表れです」。
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