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なぜ京都に利尻昆布が? 名物「木の芽煮」誕生秘話

2018.04.27

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牛若丸も食べていた? 京都・鞍馬の伝統食


「木の芽煮は、古くから鞍馬の家庭で作られてきた保存食です。春先にふきやわらびなどの山菜を採り、それを佃煮にして食べていました。山椒の新芽が出るのは5月初旬頃です」と、くらま辻井の店主・辻井浩志さん。

辻井さんによれば、牛若丸(※)が鞍馬にいた時代は、佃煮ではなくアケビの蔓(つる)と山椒を漬け込んだ木の芽漬けがあり、牛若丸がそれを食べていたとする説があるそうです。
※源義経の幼名。幼少期に牛若丸は鞍馬寺に入山しています。


大村しげの記憶を辿って私だけの京都へ「くらま辻井」「くらま辻井」の店主・辻井浩志さんと大女将・辻井康江さん。

お話を伺うと辻井家の本業は、もともと佃煮ではなかったとのこと。林業の盛んだった鞍馬では、かつて鞍馬炭と呼ばれる木炭が特産品として作られていました。鞍馬炭の中でもくぬぎを使った上質なものは、爆ぜることがなく上品に燃焼するため茶事に使われる名品。辻井家は戦前までそうした炭の問屋と林業を家業としていたのです。

「冬場は山に上がれません(林業ができない)。そのため、明治30年生まれの先々代は大八車や馬に炭を乗せて街へ売りに行ったそうです。そのうち、季節ごとに家で炊いた佃煮をお得意先への手みやげにしていたところ、評判となり徐々に佃煮が副業となっていきました。戦後、炭の時代ではなくなったため、副業だった木の芽煮を本業として始めたのです」(店主)

いまも大女将の心に残る大村しげさんとの思い出


大村しげさんが、たびたびくらま辻井を訪れていたのは30~40年ほど前のこと。「最初、大村しげ先生はふらりとお店にいらっしゃいました。当時はいまのようにお店の構えではなく、民家の玄関を開けたところに商品を並べているような雰囲気で、5~6種類しか置いていなかったんです」と大女将の辻井康江さん。

雑談から、思いがけず大女将が大村しげさんの学校(京都女専、のちの京都女子大学)の後輩だったことがわかり、お2人は意気投合しました。当時は取材の対応のほか、大村しげさんの出版記念パーティにも出席されるなど親しくしていたのです。

大村しげの記憶を辿って私だけの京都へ「くらま辻井」大女将の辻井康江さん。いまから60年ほど前に京都の町中から鞍馬へ嫁いできました。

「大村しげ先生は忘れられない存在です。いつもやわらかい京ことばをお話しになり、紬などをきりっとお召しになっていましてね。年代は離れていましたけれど、下校時の寄り道や寮にいらしたお友達と夜までおしゃべりしていたなんて、まばゆい思い出を聞かせていただいたものです。仕事のことでは『木の芽の新芽の掃除や選別をしたり、商品に混ぜて炊いたりして』といったお話をしましたら、興味を持ってくださいました」(大女将)。
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