〔特集〕パリ『アール・デコ博』から100年 女たちの「アール・デコ」フランスで花開いた「アール・デコ」は2つの世界大戦の間におこった芸術運動です。より女性が社会進出していった時代、デザインにはどんな変化が起こったのか? アール・デコのジュエリーを中心に、時代を紐解きます。
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100年後の今、アール・デコを問い直す
文・アルビオンアートジュエリー インスティテュート首席研究員関 昭郎(せき・あきお)美術館学芸員として、数多くの展覧会を企画。2018年の東京都庭園美術館「エキゾティック×モダン アール・デコと異境への眼差し」展では、西洋美術振興財団賞を受賞。著書に『ジュエリーの歩み100年―近代日本の装身具一八五〇‒一九五〇』など。美術評論家連盟会員。
パリで開催された時代の転換点となった展覧会
両大戦間期の装飾様式であるアール・デコの重要性があらためて再認識されたのは、1966年にパリの装飾美術館で開催された「25年様式」展がきっかけでした。
25年とは、今からちょうど100年前、パリで『現代装飾美術・産業美術国際博覧会』【写真1】が行われた1925年のことです。今日では、この博覧会の名称にある装飾美術(アール・デコラティフ)を略して、アール・デコと呼ばれることが一般的になりました。
写真1:1925年にパリで開催された『現代産業装飾芸術国際博覧会(通称『アール・デコ博覧会)』にて、アンヴァリッド側からの博覧会会場風景。手前は、ラパンが仮想の「フランス大使館」を展示した装飾美術家協会のパヴィリオン技能館。地平線に見える突き出したシルエットは、左がグラン・パレで、右がプティ・パレ。/写真:Mary Evans Picture Library/アフロ
博覧会は、他国の新しく興ってきたデザインに対抗し、フランス装飾美術の洗練されたセンスと伝統に裏打ちされたサヴォアフェール(技術)の優位性を示すべく、装飾美術家たちの団体の要望から、実現しました。
パリのプティ・パレとグラン・パレからセーヌ川を挟んで、ナポレオンらの遺体が収められているアンヴァリッド(廃兵院)までを会場として、1600万人を集めたたいへんに成功した博覧会となりました。
私たちに幸いなことには、この博覧会の空間を継承した建物が日本に残っています。現在、東京都庭園美術館の本館として使われている朝香宮鳩彦王邸がそれです。
博覧会を立ち上げた中心的な団体である装飾美術家協会のパヴィリオンでハイライトとなる展示を手がけたアンリ・ラパンが、その主要な室内装飾をデザインしました。【写真2】
写真2:展覧会「永遠なる瞬間 ヴァンクリーフ&アーペル」の舞台にもなった東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)本館の大客室。ラパンが描いた壁画、ラリックのシャンデリア、マックス・アングランのガラスパネルを嵌めたドアなどが見られる。/画像提供:東京都庭園美術館
この博覧会は、当初は第一次世界大戦(1914〜1918)前に実施される予定でした。しかし、その時期では本当に新しいものは生まれず、様式としてインパクトや広がりのあるものにはならなかったかもしれません。
また、1929年10月24日暗黒の木曜日、ウォール街の大暴落のあとにもし行われたならば、大衆的なテーマではなかったこの博覧会の成功はなかったように思えます。
芸術やモードにおいて世界を魅了したスタイル
20世紀初頭のパリでは、ピカソやセルゲイ・ディアギレフが創設した「バレエ・リュス」、ポール・ポワレらが、絵画や音楽、舞台芸術、そしてデザインやモードの分野で従来の形式からドラスティックに逸脱した前衛的な表現を生み出しました。
アイルランド生まれの建築家、インテリア・デザイナーのアイリーン・グレイは、日本人の漆工芸家であった菅原精造と出会い、モダニスムと異国趣味を融合させたアール・デコと呼ぶべき、すばらしい家具類を第一次世界大戦前にすでに作り出していました。
しかし、これらは例外的なもので、ドレスでも新しいデザインは登場していたものの、いまだコルセットをつけるドレスが一般的で、その影響は限定的でした。【写真3】
写真3:アール・デコ期のドレスは体の線を強調せず、すっきりしたシルエットなのが特徴。第一次世界大戦前のベル・エポック期の装飾的なドレスがウエストをコルセットで締め上げ、下着で腰部を膨らませ体の曲線を強調したシルエットとは対照的だった。/シャネル イヴニング・ドレス 1928年 京都服飾文化研究財団 撮影:畠山崇(出展:「アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に」より
ニューヨークのエンパイア ステート ビルディング(1928年着工、1930年竣工)とクライスラー・ビルディング(1929年着工、1931年竣工)【写真4】らの超高層ビル群は、その連続した幾何学的なモティーフなどから、国際的な装飾様式としてのアール・デコの代表例であり、1920年代になって、このスタイルはアメリカやヨーロッパ、そしてアジアを含めた世界各地に広がりました。
写真4:アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにある「クライスラー・ビルディング」。幾何学的なモティーフが繰り返されるのは、アール・デコの一つの典型であり、天に突き抜けるようなスピード感、力強さが時代とマッチした。/写真:Jose Fuste Raga/アフロ
日本でも、建造物や商業デザイン【写真5、6】に、アール・デコの影響を見ることができます。
写真5:化粧品にも、アール・デコ調のデザインが取り入れられた。ルースパウダー入りコンパクト(二種) 1920年代初頭 カネボウ化粧品(アンティークコンパクトコレクション)/撮影:若林勇人(出展: 「アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に」より)

写真6:ポスターや雑誌などでの商品広告が発達。グラフィック・デザイナーたちが本格的に活躍する時代が到来した。ユップ・ヴィールツ《ヴォーグ、今年の冬の香水はこれだ》1925年/サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)/(出展:「新時代のヴィーナス!アール・デコ100年展」より)
時代を超えて考える「遊び」と「贅」の価値
アール・デコには多様な広がりがあり、大衆化の現れと見られますが、私自身は、アール・デコという文化はパリを中心としたフランスのラグジュアリー産業が生み出したものという結論に帰着するように思っています。
前衛的な試みを「遊び」、そして豊かな伝統を持ったフランスの装飾美術の「贅」を味わうのがアール・デコであり、誰もが憧れたパリから発信された流行であるからこそ、第一次世界大戦後に生まれた新しい富裕層や社会進出を果たした女性たちが熱狂的に受け入れ、世界中に広がったのでしょう。
近年、いくつかのヨーロッパのブランドが日本の伝統工芸とのコラボレーションや若手工芸家の発掘に力を入れています。工芸の高い技術と時間をかけて作られる価値、それはブランド自身のアイデンティティとも繋がるものです。
今回日本で開催される3つの展覧会も、こうした動きと同じようにアール・デコを見直すことで、文化の大衆化、あるいはモダニスム一辺倒のデザインから離れ、現代の「贅」を見出そうという試みといえるのかもしれません。
新時代のヴィーナス!アール・デコ100年展会場:大阪中之島美術館 5階展示室
住所:大阪市北区中之島4-3-1
会期:2026年1月4日(日)まで
休館日:月曜、12月30日~1月1日
開場時間:10時~17時(最終入場16時30分まで)
アール・デコとモード 京都服飾文化研究財団(KCI)コレクションを中心に会場:三菱一号館美術館 住所:東京都千代田区丸の内2-6-2
会期:2026年1月25日(日)まで
開館時間:10時~18時(最終入館は閉館の30分前まで)
(1/2を除く金曜日、会期最終週平日と第2水曜日は20時まで)
休館日:祝日・振替休日を除く月曜日、および12月31日と1月1日
(ただし、12月29日、1月19日は開館)
(次回へ続く。
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