〔特集〕新国立劇場バレエ団、英国への挑戦 吉田都の『ジゼル』、世界へ 2025年7月。ロンドンの英国ロイヤルオペラハウスで『ジゼル』を踊ったのは、新国立劇場バレエ団。率いるのは、吉田 都さんです。5年前、新国立劇場バレエ団の芸術監督に就任した際、自身が活躍した “ロイヤル” のステージにダンサーを連れていきたい、と夢を抱いた吉田さん。それが形となりました。バレエ好きのロンドンっ子を沸かせた公演を追いました。
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【ジゼルとは】1841年にパリ・オペラ座で初演された『ジゼル』は、ロマンティック・バレエの代表作。舞台は中世ドイツ。第1幕で、体の弱い村娘ジゼルは、身分を隠した貴族アルブレヒトと恋に落ちるが、村の森番ヒラリオンが彼には婚約者がいることを暴露。アルブレヒトは婚約者のほうを選び、絶望したジゼルは心臓発作で倒れて命を落としてしまう。第2幕では、ジゼルは女王ミルタが率いる「ウィリ」と呼ばれる精霊の仲間となり、森に迷い込んだヒラリオンを力尽きるまで踊らせる。ジゼルを探しに来たアルブレヒトも、ミルタの命令で踊らされるが、ジゼルが必死で守ろうとする。夜明けとともにウィリたちは消える。ジゼルはアルブレヒトに別れを告げ、彼は一人残される。
吉田版ジゼルの魅力とは
文・守山実花(舞踏評論家)
この夏、新国立劇場バレエ団が歴史的な一歩を刻みました。芸術文化の殿堂、英国ロイヤルオペラハウスにおいて、オリジナル演出の『ジゼル』を上演したのです。
新国立劇場バレエ団は、現代舞台芸術の拠点として1997年に開場した劇場とともに発足しました。現在の舞踊芸術監督は、かつて英国ロイヤルバレエでプリンシパル(トップダンサー)として活躍した吉田 都さん。2020年9月の着任以来、自身の豊富な経験を惜しみなく注ぎ込み、バレエ団をさらなる高みへと導き続けています。
『ジゼル』は、神秘的・非現実的なものへの憧れや関心を特徴とするロマン主義が隆盛していた19世紀半ばのパリで初演され、一大ブームを巻き起こした傑作バレエです。釣鐘形のチュチュをまとい、19世紀初めに生まれたつま先立ちの技法を駆使して踊るバレリーナの軽やかな動きは、まさに儚(はかな)い精霊そのものとして絶賛されました。
第2幕の群舞。恋人に裏切られ亡くなった乙女の精霊、ウィリたちとその女王ミルタが月光のもと、妖しくも美しい群舞を踊る。純白の長いチュチュ(スカート)とヴェールが、この世のものではないことを表現。©Tristram Kenton
19世紀後半にはロシアにもたらされ、『白鳥の湖』などで知られる大振付家マリウス・プティパにより、踊りの見せ場が挿入されるなど現在私たちが観ているものに近い形に改訂されました。
吉田さん自身も長く踊ってきた、細やかな演出に定評のあるピーター・ライト版をはじめさまざまな演出がありますが、新国立劇場バレエ団がロンドンで上演したのは、吉田さん自らが手がけ、2022年に初演した新しい版。
登場人物たちの心理や感情の奥深いところにまで分け入り、従来描かれてこなかった細部にも光を当てた丁寧な描写が特徴です。ダンサーたちの演技はもちろん、美術も含めて舞台上のありとあらゆるものが妥協なく細部までリアリティを持っているため、観客は自然と作品世界へと誘われていきます。
第2幕。踊り疲れたアルブレヒトを抱くジゼル。アルブレヒトが力尽きそうになるたび、ジゼルは彼の代わりに踊り、ウィリたちに慈悲を乞う。ジゼルの深い愛がアルブレヒトを包む名シーン。初日のステージから。ジゼルは米沢 唯さん、アルブレヒトは井澤 駿さん。©Tristram Kenton
舞台は封建社会の中世ヨーロッパですが、愛と裏切り、罪と改悛、怒りと赦(ゆる)し、生と死、別離と永遠……、作品が問いかけているのは普遍的な、21世紀を生きる私たちにとっても切実なテーマであることが鮮明に浮かび上がってきます。吉田版『ジゼル』は、歴史や伝統に敬意を払いながら現代的な視点で作品を読み直すことで、19世紀パリと21世紀の日本を繫いだのです。
確かな技術と表現力、そして日本の舞踊文化の奥深さが世界に発信されたロンドン公演。国際舞台での存在感を確かなものとした新国立劇場バレエ団の挑戦はこれからも続いていきます。
吉田 都さん(よしだ・みやこ)9歳でバレエを始め、1983年ローザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞受賞。1984年、現バーミンガム·ロイヤルバレエへ入団。1995年に英国ロイヤルバレエへプリンシパルとして移籍、2010年に退団するまで長きにわたり最高位プリンシパルを務める。紫綬褒章並びに大英帝国勲章(OBE)ほか受賞多数。2020/2021シーズンより新国立劇場バレエ団の舞踊芸術監督に就任。後進の育成に尽力している。
新国立劇場バレエ団1997年、新国立劇場の開場とともに発足した日本を代表するバレエカンパニー。レパートリーは古典や20世紀の名作から現代振付家の作品まで多岐にわたる。2020/2021シーズンから、英国で長年プリンシパルとして活躍した吉田 都さんが芸術監督に。所属ダンサーは現在74名。
(次回に続く。
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