一杯の紅茶に砂糖をたっぷり
昭和の時代のジョークに、
「健康は命より大事」
というのがありました。
最近の健康ブームを眺めていて、つい、そんな昔の流行(はやり)言葉を思い出してしまいました。
「体によい」ことが大事?
週刊誌を見ても、月刊誌や新聞を眺めても、健康に関する記事は圧倒的に多い。NHKのテレビでも、さまざまな健康関連の番組が目につきます。
ふり返ってみますと、以前は「生きる」というテーマや、「学ぶ」という主題の番組が多かったような気がします。
お料理番組はあいかわらず大繁昌ですが、その引き文句が微妙に変ってきているような感じがする。
要するに「おいしい」より、「体によい」「栄養がある」ことを強調する方向へシフトしてきている気配があるのです。
以前は食通といわれる趣味人も、真剣勝負でした。
〈河豚(ふぐ)は食いたし 命は惜しし〉
などと、体を張って美味を追求する心意気が世間に持てはやされたのです。
私も子供の頃には、母親にこんなことをよく言われたものです。
「がんばって食べなさい。体にいいんだから」
いまでも私の意識の底には、その言葉が残っています。
要するに〈奇麗なバラにはトゲがある〉という意識ですね。
しかし、さすがに後期高齢者ともなれば、度胸もついてきます。
〈世の中は、正しいだけが大事とは限らない〉
日頃から摂生(せっせい)につとめて、ナントカ体操にもはげみ、健康によいといわれる食生活を実践なさっているかたが、病にたおれたり、早世されたりするのを知ると、
「世の中、理屈通りにはいかないものなんだよなあ」
と、独りごちたりもするのです。
毒も薬も使いよう
私は毎日、朝食のあとに紅茶を飲むのが習慣になっています。
熱い紅茶に、砂糖を入れます。ガラス器の中に一回分の砂糖が一袋ずつパッケージされているのを、三袋いっぺんに入れます。人が見ていたら、さぞかし驚かれることでしょう。
「一杯の紅茶に、お砂糖を三袋も入れるなんて」
と、心配なさるかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、心配はご無用。
私はいつも一杯の紅茶の三分の一しか飲みません。ほんのひと口、雀が水を飲むように、ちょっと舌をうるおすだけなのです。
これが、甘くて、じつにおいしい。口中に余韻を残して、ごくっと飲みこむ。
普通の三倍も砂糖を入れても、飲むのは三分の一どころか、はるかにわずかな量でしょう。
一袋の砂糖を入れて、一杯、そっくり飲まれるかたより、砂糖の摂取量は、うんと少ないはずです。ですから、それほど体に悪いとは思えません。お陰で、ずっとその習慣を続けてきました。
残した紅茶は午後に飲みます。これもひと口。冷えた紅茶の味も、また乙なものです。
ある大学の先生から聞いた話ですが、むかし英国の労働階級の人たちは、砂糖なしの紅茶を一日一回、支給されていました。当時は働く人たちと経営者のトラブルが絶えず、仕事の能率もあがらなかったそうです。
しかし、イギリスが世界各地の植民地を支配するようになり、砂糖も大量に輸入されるようになると、毎日、午後の休憩時間に出される一杯の紅茶に砂糖が入れられるようになった。すると、その頃から労働者の仕事の能率がはるかに向上したというのです。
砂糖はただ甘いだけではないようですね。すさんだ人の心を、優しくほぐしてくれる力もあるように思います。
甘いものを極端に制限されているかたも大勢いらっしゃる。でも、毒も薬も使いようではないでしょうか。
私の知人で、とても優しい配偶者と暮らしている男性がいました。その人が離婚したという噂を聞いて、たまたま出会ったとき、その理由をたずねました。彼は、ため息をついて小声で言ったのです。
「要するに愛情過多、なんだよな」
その後にこう続けました。
「なんだか息がつまっちゃって」
ゼイタクを言うんじゃないよ、と外野席からの声がきこえそうです。
しかし、彼のため息には現実味がありました。
もし、新聞などの人生相談欄で、彼の相談にのった回答者は、どうアドバイスするのでしょうか。
「三日に一ぺん、逢うようにすれば」
などという回答は、非現実的です。
人生はむずかしい。だから砂糖三杯、入れたりするのです。あなたは、どうなさっていますか?
五木寛之(いつき・ひろゆき)
《今月の近況》私は体質的にお酒は体に合いません。しかし、この国では、共にお酒をくみかわすことが儀礼となっている面もあります。「甘いものなら相当イケますけど」などと言っても呆れられるだけ。昭和の時代はことにそうでした。今は「健康上の理由で」と、苦しい言い訳です。