[天野惠子医師特別取材]今、娘たち世代に伝えたい 女性が健やかに生きるコツ 第2回 日本における性差医療・女性外来の先駆者、天野惠子医師が輝き続ける姿は、私たちのお手本。今回、吉川英治文化賞受賞により、社会的にも功績を認められました。尊敬すべき大先輩が娘たち世代へ、「健やかに自分らしい人生を」とエールを送ります。
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ひるむことなく切り拓いた一本道。女性のための医療で患者さんを救いたい
天野惠子(あまの・けいこ)さん1942年生まれ。循環器内科医。静風荘病院特別顧問。日本性差医学・医療学会理事、NPO法人性差医療情報ネットワーク理事長。東京大学医学部卒業。女性外来・性差医療の先駆者としての功績により令和7年度吉川英治文化賞を受賞。
「「ひとりでは何もできなかった。私が困っていると、いつも助けてくださる方が現れるんです」。自分が信じる道を突き進む強さと、“患者さんのため”を最優先するやさしさ。白衣が最高に似合う姿は、医師が天職であることを物語っています。 白衣姿でほほえむ天野惠子医師。強い意志と患者さん思いのやさしさが伝わってきます。東大医学部を出て医師になったものの決して順風満帆ではなかった人生。めげずに自分が正しいと思うことを貫く生き方が周囲の信頼を得、心を動かしてきました。やさしさと強さを併せ持った“信念の人”、天野医師の半生を紐解きます。
私がやらねば誰がやる?女性医療をライフワークに
現在、日本全国に女性外来は250か所余り。患者の話にじっくり耳を傾け、男女の違いを考慮して女性に寄り添う医療を実践しています。天野惠子医師は、性差医療をベースに女性の心と体をトータルにみる女性外来を日本に根づかせた功労者。
携わる女性医師の多くは天野医師を師と仰ぎ志を受け継ぐ方たちです。偉大なる功績に敬意を表しつつ軌跡を辿ると、決して平たんではない道を確かな信念を持って、マイナスに思える出来事もプラスに変えながら進んできたことがわかります。
1963年、東京大学医学部医学科進学のとき。102人中、女性はたった10人(天野医師は最前列右から3人目)。そこは圧倒的な男性中心社会でした。
天野医師が性差医療を知るきっかけとなる症例に出会ったのは1980年代前半でした。“狭心症に似ているが検査で異常の出ない胸痛”を訴える複数の女性患者に遭遇。後にアメリカの循環器学会の報告で、これが「微小血管狭心症」という女性特有の疾患であることを知ります。
「かかりやすい病気や症状に男女の違いがある点に注目した性差医療の考え方は、当時の日本には皆無でした。女性の医療が、男性を対象に得られた検査データを基に施されていることに誰も疑問を持たないのは絶対におかしい。私は性差医療をライフワークにしようと決めました」
99年、日本における性差医療について講演し日本の現状を世界に発信。
しかし、天野医師がその重要性を訴えても男性優位の医療界では誰も興味を示さず。光が当たったのは1999年、天野医師が開催を任された日本心臓病学会のシンポジウム「女性における虚血性心疾患」がきっかけでした。当時の学会長・聖マリアンナ医科大学病院循環器内科の村山正博教授が開催のチャンスをくれたのです。権威ある学会での発表は注目を集め、性差医療の概念が広まり始めました。
並行して、ある問題が天野医師の身に起きていました。50歳からの壮絶な更年期障害です。耐え難い倦怠感、下半身のしびれ、冷え、記憶力の低下……。著名な産婦人科医は男性ばかり。相談してもどこか他人事で埒(らち)が明かず、文献を読み漁っても有効な治療法は見つかりません。更年期医療の遅れに愕然とした天野医師。
「男性に任せてはおけない。私がやらねば誰がやる? 更年期障害のおかげで、私は女性医療の発展を生涯かけて取り組む価値のあるテーマと掲げることができました。人生に意味のない出来事なんて何一つありません」。
天野医師の熱い思いに賛同し、女性外来開設を推進した堂本暁子・元千葉県知事(左から2人目)と。写真提供/天野医師
天野医師の経歴
1967年(24歳)東京大学医学部卒業
1969年(26歳)アメリカ留学。翌年結婚、カナダ留学
1971年(28歳)帰国、長女出産
1973年(30歳)次女出産
1974年(31歳)東大病院第二内科医局員となる
1980年(37歳)三女出産
1983年(41歳)東大病院第二内科助手となる
1988年(46歳)東京大学保健センター講師となる
1994年(52歳)東京水産大学(現・東京海洋大学)教授となる
2002年(60歳)千葉県立東金病院副院長、千葉県衛生研究所所長となる
2006年(63歳)離婚
2009年(66歳)静風荘病院特別顧問となり現在に至る
「59歳の秋、霧が晴れるように更年期が明けた。心身の健康を取り戻し、人生の第2ステージへ」
59歳で更年期障害が噓のように消え、目の前が明るく開けると同時に運も開けてきました。堂本暁子千葉県知事(当時)の要請で千葉県立東金病院副院長・千葉県衛生研究所所長に就任し、のべ36万人超を対象に大規模調査を実施。加齢に伴うコレステロール値、血圧値、血糖値の変化に男女差があることを証明し、更年期以降の女性に特有の健康リスクがあると警鐘を鳴らしたのです。
全国に広がった女性外来。和温療法の普及を次なる目標に
女性外来開設を求める機運は上昇し、2001年、鹿児島大学病院と東金病院に初の女性外来が開設。その後、大学病院、公立病院を中心に全国に広がり、全盛期には約350か所に達しました。
現在、天野医師の活動拠点は埼玉県の静風荘病院です。
「私はここで“やりたいこと、やるべきこと”に力を注いでいます。女性外来の発展と和温療法の普及です」。元・鹿児島大学の鄭てい忠和教授が開発した和温療法は、乾式サウナ器で深部体温を上げて血液循環を促す温熱療法。決め手となる治療法のない症状への切り札として天野医師一推しの治療法です。「重度の更年期障害やコロナ後遺症の治療の第一選択で、パーキンソン病など神経難病の薬効を高める効果も実感しています。苦しむ人を救えるはずの治療法を世に広めるのは医師の務め。そのための力は惜しみません」。
患者さんを助けたい一心で、自分が正しいと思うことは、誰に何といわれようが気にせず突き進む“信念の人”。天野医師の超多忙な日常は当分続きそうです。
天野医師の好評既刊

右・『
81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』左・『
女の一生は女性ホルモンに支配されている!』(各1760円 ともに世界文化社刊)
【お知らせ】
『家庭画報』8月号(7月1日発売)から天野医師の新連載がスタート。お楽しみに(次回へ続く。)