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学習院コレクションより ~ 高松宮喜久子妃の「ローブ・モンタント」

2025.03.06

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〔特集〕学習院コレクションより 華麗なる皇室文化の象徴 高貴なドレス ローブ・モンタント 収蔵作品25万点以上を誇る学習院コレクション ── 。日本の歴史と伝統文化を知るうえで欠かせない皇族・華族ゆかりの品々から、以前は「ボンボニエール」を紹介しましたが、今回は「ドレス」を取り上げます。上皇后陛下から下賜されたローブ・モンタントなど、優雅で気高さに満ちた服飾の世界をお楽しみください。前回の記事はこちら>>

特集「ローブ・モンタント」の記事一覧はこちら>>>
※「作品名」の次の行は、ドレスが下賜された時期を記しています。

国の威信がかかった大礼服と宝飾品

明治19(1886)年6月、皇后(昭憲皇太后)が初めて洋装する直前に、大礼服(マント・ド・クール)、中礼服(ローブ・デコルテ)、小礼服(ローブ・ミ・デコルテ)、通常礼服(ローブ・モンタント)の4段階の女性洋装服制が制定されました。

一番格上の大礼服は、新年拝賀儀式や皇族の結婚の際に着用されました。大礼服はドレスに腰あるいは肩からの長いマント(トレーン)を伴います。トレーンの長さは身分によって異なり、皇后のトレーンは4メートル以上あったともいわれます。


明治20年の新年儀式に皇后が初めてお召しになった大礼服は、ドイツ製でした。日本ではまだ大礼服を作れる職人がいなかったためです。このとき、同時にティアラなどの宝飾品も発注されました。当時の記録によると、大礼服と宝飾品一式で15万円、現在の価値に換算すると、7億円以上でしょうか。皇后の洋装に国の威信をかけていたことがわかります。

昭和20(1945)年に第二次世界大戦が終結すると、女性洋装服制は廃止され、皇族方が大礼服をお召しになる機会もなくなりました。現在ではローブ・デコルテが最高位、ついでローブ・モンタントが用いられています。令和の御即位式の際には皇后雅子さまは、ローブ・デコルテに明治20年にドイツで購入されたティアラを着用されました。洋装にも伝統が受け継がれています。

【高松宮喜久子妃】

百合文ビーズドレス
昭和5(1930)年頃
高松宮喜久子妃より小山トミへ下賜 小山家旧蔵

宣仁親王・喜久子妃は昭和5年の成婚後、天皇の名代として欧米各国を巡る旅行に出られた。この際に着用されたと思われるビーズドレスである。シルクジョーゼット地にビーズで青海波、百合を思わせる日本的な刺繡が施され、ラインストーンで縁取りされている。高松宮家老女小山トミへの下賜品。

高松宮喜久子妃とは

高松宮宣仁親王妃喜久子は最後の将軍・徳川慶喜の七男で公爵慶久の娘。母は有栖川宮威仁親王の次女實枝子女王。威仁親王に可愛がられて育ち、昭和5(1930)年に大正天皇の第三皇子宣仁親王と御結婚。宣仁親王は有栖川宮家の祭祀を継承して高松宮を称しており、喜久子妃は自分を深く愛した祖父とゆかりの深い人物と結ばれたことになる。昭和天皇名代の宣仁親王と共に1年以上にわたり洋行するなど、仲睦まじい御夫婦だった。

(次回に続く。この特集の記事一覧はこちらから>>

この記事の掲載号

『家庭画報』2025年03月号

家庭画報 2025年03月号

文/長佐古美奈子(霞会館記念学習院ミュージアム学芸員) 撮影/鈴木一彦

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