ベロ藍の登場、イノベーション、浮世絵は日本美術の代表に
ところで、北斎の『冨嶽三十六景』は鮮烈な印象を見る人に与えますが、その秘密は何でしょう。これには18世紀にドイツで発明された化学染料がかかわっています。難点は値段が高いことで、とても大量印刷の浮世絵には用いることができない。
ところが、これも現代にもよくあることですが、模造品が登場するのです。当時の中国の清で「ベロ藍」（ベルリン・ブルー）が作られ、日本に輸入されるようになりました。これがとても安い。安いうえに青がものすごく鮮やかなのです。そのベロ藍ブームに乗ったのが北斎であり広重でした。
色をめぐるストーリーをもう一つ。蔦屋重三郎による雲母（きら）摺りの誕生です。貝殻をこすって出る粉を貼りつけると、反射して煌めく、銀を散らしたような効果のある技法なのですが、これを背景に使い始めた。こうすることで発色がよりよくなったのです。
19世紀の終わりに近づけば近づくほど、彫師や摺師の技術も優れていきました。彫師でいえば、たとえば歌麿の美人画を見ればわかりますが、髪のほつれや毛の一本一本の微細な表現を巧みに彫り上げたのです。摺師は技巧もより緻密になり、何色も使えるようになって摺り数もどんどん増え、グラデーションが豊かになり、作品の仕上がりがより鮮やかになっていきました。
浮世絵は一つの版木で200枚摺ったといわれていますが、幕末の頃には大ヒット作ともなると3000枚、4000枚と大量に摺るようになりました。たくさん摺られることで単価が下がり、より多くの人に愛されるようになる。
やがて歌川国芳のような新たなスターも誕生します。武者絵で一時代を築いた国芳は多才な人で風景画に風刺画、ユーモア溢れる戯画、とりわけ猫の絵は現代でも人気です。その無類の猫好きぶりは彼の画塾が猫だらけだったことからも窺えます。
こうして浮世絵は、幕末や明治期に日本を訪れた外国の人々によって海外へも広がり、今ではクールな日本美術として世界じゅうにも知られています。
ペット愛
猫は江戸時代からペットとして可愛がられていた。また、料理屋などでは優秀な鼠捕りとして大活躍 ──
ギャラリー紅屋蔵 画像提供：ギャラリー紅屋
国芳《団扇絵 猫と遊ぶ娘》画面の白い部分を切り取って四角っぽい江戸団扇に貼りつけるための絵。本図に題名はない。娘が嬉しそうに猫の前足をつかんで踊りの真似をさせるのだが、猫は迷惑顔で爪を出している。画面右端の模様の色調を娘の帯と合わせたところが洒落ている。
●歌川国芳【1797～1861年】歌川豊国の門人。武者絵で一世を風靡する。また洋風表現を取り込んだ風景画や風刺画、ユーモラスな戯画、寄せ絵もよくした。猫の画家としても有名。
ヒーロー
昔も今も私たちはヒーローが大好き。とりわけ『南総里見八犬伝』は昭和の高度経済成長期には人形劇が作られ、近年でも幾度も映画化されている ──
ギャラリー紅屋蔵 画像提供：ギャラリー紅屋
国芳《八犬伝之内芳流閣》曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は歌舞伎や浮世絵にも取り上げられた伝奇小説。犬塚信乃が敵方の間者と間違われ、足利成氏（しげうじ）家臣に捕縛されそうになるが、信乃は強い。場面は信乃が芳流閣の屋根に上ったところで、右下に犬飼現八が長十手を持って現れ一騎討ちとなる。
安村敏信さん（やすむら・としのぶ）1953年富山県生まれ。1979年より板橋区立美術館に勤務し2005年から2013年まで同館館長を務める。現在は北斎館館長、静嘉堂文庫美術館館長、国際浮世絵学会常任理事。編書・著書は『江戸の絵師「暮らしと稼ぎ」』（小学館）、『江戸絵画の非常識』（敬文舎）、『浮世絵美人解体新書』（世界文化社）、『線で読み解く日本の名画』（幻戯書房）、『若冲BOX・FIVE COLORS』（講談社）など多数。
（次回に続く。
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