忘れられない言葉
母「よ・く・で・き・た」
2011年。臨床美術のセッションの中で自ら描いた絵を眺めて
──その頃は認知症が進み、言葉もおぼつかなくなっていました。「アンスリウムを描き上げるとお母様は、一語一語を絞り出すように『よ・く・で・き・た』とご自分を褒めておられました」と臨床美術士さんが涙ながらに報告してくれたとき、私も一緒になって泣きました。それは、あんなに得意だったこと、好きだったことができなくなって以来、母が初めて口にした自己肯定の言葉だったのです。 そこから導き出された一つの答えは──
「戦争を経験し、苦労しながら大変な時代を懸命に生きてきた母だもの。今日が何曜日だとか姉妹の名前がどうだとか、忘れたっていいじゃない。そんなことより日々穏やかにふんわりと暮らせればそれが一番」。
安藤さんの気づきはみどりさんの笑顔を増やし、母娘に残された時間を悔いなく過ごしたといいます。「忘れることに寛容であれ。そうであれば介護は今よりずっと楽になるはず。する側もされる側も──」。
介護で学んだ3つのこと
1 一時的な感情で「親を引き取る」といわない冷静に考えたら同居介護と仕事の両立は無理だった。もしそうしていたら、お互いが大きなストレスを抱え、生活は破綻していたはず
2 今の姿ではなく、今までの歴史を見ることが大事施設のスタッフの方々は母が辿ってきた人生を知ろうとしてくださった。母が施設に心を開き始める大きなきっかけだった
3 老いを受容し、忘れることに寛容でありたい激動の時代を必死に生き抜いてきた母。90歳近くなっていろんなことができなくなり忘れることくらい許そう
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