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「毛利(もうり)」という名字は、山口県のイメージが強い?実はルーツは神奈川県にあり

2024.11.17

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墨アート製作/越智まみ

名字365 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を毎日紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

毛利(もうり)

戦国大名の毛利元就や、江戸時代の長州藩主として知られる毛利家。山口県の名字というイメージが強いですが、実はルーツは神奈川県にあります。

その祖は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場していた大江広元です。広元は源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたって、その整備をするために都から移り住んだ公家で、子孫は武家として鎌倉幕府に仕えました。

毛利氏の祖となったのは、広元の四男季光(すえみつ)で、父から相模国愛甲郡毛利荘(現在の神奈川県厚木市周辺)の地頭職を譲られて「毛利」と名乗ったのが始まりです。季光は承久の乱では幕府軍に参加、その後は三浦義村の女婿となって評定衆に就任するなど、鎌倉幕府内で重要な地位にありました。


しかし、三浦一族が幕府と戦った宝治合戦では、三浦氏の縁戚であったことから一族をあげて三浦氏方に味方して敗れたため、本拠地である毛利荘を没収されてしまいます。

このとき、季光の四男経光は所領の一つである越後国刈羽郡佐橋荘(現在の新潟県柏崎市)に赴任していたことから乱には参加せず無事でした。

そこで、毛利氏は越後を本拠地として存続することになったのです。そして、経光は安芸国高田郡吉田荘(現在の広島県安芸高田市)の地頭職も持っていたことから、自分の四男時親にこの地を継がせ、子孫は安芸国に転じました。そして、この子孫から元就が出ることになります。

毛利元就は、大江広元の四男の四男の四男が祖という傍流の家に生まれ、有数の戦国大名にまで発展したのでした。

森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/

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