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追悼・篠山紀信さん 後編「篠山紀信さん、感動をありがとうございました」ゆかりの俳優たちからのメッセージ

2024.04.10

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追悼 篠山紀信さん 時代を撮る(後編)

2024年のはじめ、83歳でご帰幽された篠山紀信さん。家庭画報本誌では、27年間324冊の表紙を撮影し、記念号も含めると総カット326枚の『家庭画報』の顔を撮り続けてくださいました。

「新しいチャレンジも大切だけど、続けることはもっと難しくて大切」とはかつてのお言葉です。

そのレンズを通して私たちに呈されたのはまさしく被写体の魂であり、篠山紀信さん自身の情熱でした。誰もが一目置く巨匠であるのに、「撮りたい!」と思ったら自ら脚立を抱えて報道陣の中に飛び込む姿。


「撮影は現場で頑張ったみんなの賜物。だから現場の若い編集者がどの写真を使いたいのか、意見を大切にしてあげて」という信条。

予測不能な熱気あふれる撮影現場には、常に、篠山さんの温かい思いが流れていました。謹んでご冥福をお祈りいたします。そして、家庭画報にこんなにも素晴らしい軌跡を残してくださったことに、心から御礼を申し上げます。

家庭画報編集部一同

役者の魂を写す

松本幸四郎
『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実。2018年2月、歌舞伎座。(2018年7月号「松本幸四郎の矜持」より)

市川染五郎
『信康』の徳川信康。染五郎さんの歌舞伎座での初主演作品で、祖父・2代目松本白鸚さんが父親の家康役で共演した。2022年6月、歌舞伎座。(2023年1月号「高麗屋の夢」より)

中村勘九郎
『仮名手本忠臣蔵 七段目』の寺岡平右衛門。2018年11月、浅草・平成中村座。(2019年1月号「中村屋の新時代」より)

中村七之助
『助六由縁江戸楼(すけろくゆかりのえどざくら)』の三浦屋白玉。2013年6月、歌舞伎座。(2014年1月号「受け継がれる歌舞伎の心」より)

篠山紀信さんを偲んで想いを綴る

上・2023年1月号「高麗屋の夢 松本幸四郎 市川染五郎」下・2024年2月号『松本幸四郎の生きがい』

松本幸四郎

篠山さんは永遠にいらっしゃる方だと信じていました。

だから、信じられません。

僕の生まれる前から僕の家と固い絆で結ばれ、人の記憶の中にしか残らない一コマを撮っていただいてきました。おかげさまで僕たちの歴史の証が作品として残っています。客席から、スタジオで、ロケ地で、あらゆる場所でお会いできた時間は僕にとって大切な“記憶の宝物”です。人の目に見えるものを対象に人の目に見えない人の心を撮られてきた篠山さんのマジックにいつも感動していました。その機会がこの先永遠にないことは信じられません。

僕はこれからも篠山さんだったら自分のどの瞬間にシャッターを押されるのだろうと想像し続けると思います。僕の中に篠山さんが存在し続けてくださると信じています。

永遠は存在しないことを突きつけられたこの現実に対して、人の心の中には存在する永遠を信じてこれからの現実を生きていきたいと思っています。

連載で舞台を撮っていただく日は、少しでも成長している姿をお見せしたいと背伸びをして舞台を勤めていたのは……すみません。後悔しています……。

心からの感謝と心からの感涙でいっぱいです。

市川染五郎

篠山先生には僕の初舞台や祖父、父と3代での襲名披露のポスターをはじめ、さまざまな機会に撮っていただきました。

僕が父と『連獅子』を勤めさせていただいたとき、その翌月だったかと思いますが、歌舞伎座のロビーに篠山先生がいらっしゃいました。そして「染五郎! いいのが撮れたんだよ!」と、『連獅子』の舞台面の写真を興奮して見せてくださったことがとても印象に残っています。

演じた瞬間から儚く散ってしまう、役として生きた時間を写真という形で残してくださり、また写真を通して僕が役者として歩んできた証を残していただいたこと、感謝してもしきれません。

最後にお会いしたとき、僕からお願いをして一緒に写真を撮っていただきました。その写真は僕の宝物です。

篠山先生が残してくださった僕の「過去」を見返しながら「今」を作り、そして「未来」へとつなげていきたいと思っています。

本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

左・1987年2月号 右・2016年1月号臨時増刊

大地真央

篠山先生には何度も撮影をしていただきましたが、毎回、その一瞬で内面を引き出してくださるので、何度ご一緒しても新鮮なあの感動は忘れられません。

篠山先生に撮っていただいた写真はすべて私の宝物です。

先生、どうか安らかに……。ありがとうございました。

右・2021年12月号「中村屋の軌跡」下・2021年2月号「続 中村七之助の真情」

中村勘九郎

歌舞伎の場合、形が命といっても過言ではないのです。渾身の場面では形を決め、目線を入れて命を込めます。ところが篠山先生が撮ってくださる舞台写真は違うんです。そこではない一瞬の表情に、目に命が宿り、魂がこもっているのです。先生は撮影のときに、カメラ目線はしないでとおっしゃる。きっと、撮られている意識がないところで、役というか舞台の男そのものを切り取ってくださっていたのでしょう。

篠山先生の舞台写真にいつも勇気をもらっていました。

昨年(2023年)末に役のポスターの撮影をしていただきましたが、撮影が終了してもまだカメラを構えていたので、お声をかけようと、役から勘九郎へ戻り、波野雅行にふっと意識が下りていった瞬間に“カシャッ”とシャッター音がして。すぐにその写真を見せてくださった。あまりに素晴らしく「先生、これ、いい!」といったら、「でしょ〜」と先生が顔を上げられた。「でしょ〜」は先生が満足したときのお決まりの台詞。この言葉がラストカットになりました。生涯忘れません。

中村七之助

“世界の篠山紀信”なのに、こんな若手の役者に対していつもフラットに接してくださいました。写真家対七之助として向かい合うときも、プライベートでお酒をご一緒するときも変わることがないんです。思いやり深く、チャーミングで面白い。巨匠なのに、巨匠スイッチがない。父が一貫して常に中村勘三郎であったように、先生も常に“篠山紀信”で生きていたのじゃないかって。こんな人なかなかいないと思います。

実は、僕は撮影が苦手。しかし篠山先生の撮影は気持ちがよかった。役者を引き出し、パパッと撮影して、できた写真はマグマのような魂が入っている。あの魔法のような撮影はほかでは経験できません。巨匠なのに、アリゾナの別荘やスペイン、フランスにも来て撮影してくださいました。「中村屋座付きカメラマン」だねと、みんなで笑ったくらい。フランスでも一緒にお寿司を食べたり……思い出ばかりで本当に寂しいです。

写真を愛し、芝居を愛し、人を愛して、人との関係を大切にする方だからこそ、巡るようなご縁が続いたのかもしれません。父や大好きな人と昔話をしながら、向こうの世界で飲んでください。

すべての現場に全身全霊をかけて

トップブランドの新作コレクションをまとった“時の人”を、篠山紀信さんが切り取ったファッション特集。(2023年4月号「オーラを放つ時代の主役たち」より。)

篠山紀信さんを偲んで──眞栄田郷敦

当時、篠山先生に何を求められているのか、ずっと考えながら撮影に臨んでいました。スーツを着てジャンプをしたとき、先生が「スーツを着てジャンプとか普通はしないでしょ?だからいいんだよ」と。そのお言葉を聞いてから、表現者として自分の中で何かが変わったような気がします。

篠山先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「オーラを放つ時代の主役たち」の撮影が終わった後のお二人のオフショット。



この記事の掲載号

『家庭画報』2024年04月号

家庭画報 2024年04月号

撮影/篠山紀信 編集協力/鹿田みちこ

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